【01】御降りや外湯に通ふ宿の傘(久保蘭香)
2005年8月7日行軍B(俳句の里・城北(3)、旧なし) 私の自宅から三津まではそう遠いものではない。が、そこへ行くためには、どのルートを通っても、低い山を越えなければならない。真夏の正午という最悪のコンディションの中、かずまると2人で低い丘を越える。成願寺は丘の頂上付近にある。ここは、松山市指定天然記念物オオムラサキの自生している場所である。樹高4・1メートル、枝の周囲は24メートル、奄美 大島、沖永良部島、琉球列島に自生しているリュウキュウツツジとケラマツツツジが交配したものであるという説がある。が、我々はかつて、親子3人で散歩を しては、よく蚊にくわれたものである。 【01】御降りや外湯に通ふ宿の傘(久保蘭香)
2005年8月7日行軍B(俳句の里・城北(3)、旧なし) |
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【03】花木槿家ある限り機の音(正岡子規)
2004年9月5日行軍A(俳句の里・城北(2)) 享 和2(1802)年頃、松山出身の鍵谷カナが独力で作り上げた今出絣が伊予絣のルーツとされる。鍵谷カナといえば、城西コースの中で出てくるのだが、その 他に、明治28年に正岡子規が人力車で今出をたずねたときの記録「散策集」の中に出てくるのが有名である。本来は今出の句であるが、機のなくなった今、絣 にちなんだこの場所に移されたという。ここは、先ほど述べたとおり、我々の自宅から最も近い場所である。かすり会館には、週末ともなれば観光バスが押し寄せてくるが、隣には温泉もある。 |
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【04】白芙蓉か細く首のかたぶくにさらさら時の流れやまずも(五百木小平)
2004年9月5日行軍A(俳句の里・城北(4)、旧城北(19)) 五百木小平は本名正教、明治28年 松山市東長戸に生まれ、大阪市で炭屋を開業したり、ガス会社に勤めたりし、戦災で家を失い松山へ帰り、歌人として色々な歌集を残した。すぐ右手にはJR予讃線があり、列車からも眺められるが、ここは三光神社へと続く道である。更に東側の県道に「三光前」というバス停がある。 久枝小学校が23年ほど前に、みどり小学校と分離したのだが、その分割区域がものすごくいびつである。@とBの中間点にみどり小学校があるのは判るのだ が、そり北側500メートルのところに久枝小学校があるのだ。つまり、「久枝」の地図をみれば、この場所は大きく記載される。 で、久枝小学校とみどり小学校区は、西側では北西方向に伸びるため、実はこの場所はみどり校区なのだが、画像左側の田んぼ(南方向)は久枝校区である。 実は、このあたりは私のランニングコースで右手にあるJRの踏切が3キロ地点なのだが、三光神社(みどり校区)からさらに北へと歩く、久枝小学生とみどり小学生、そしてその前方からやってくる和気小学生を同時に見かけることがある。とにかく、松山市内の校区は判りにくい。 ちなみに、かずまるの場合、校区中学校は松山北中なのだが、それより近い公立中学が4校、公立中等教育学校1校、私立中等教育学校が2校ある。 |
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