松山句碑めぐり(双葉)

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【01】土居田町 愛媛県更生保護会雄郡寮(双葉)

【01】 男の劇場一、正しい者が勝たいでなるかそれがこの世の真理じゃないか忍の一字に望みをかけてじっと出を待つ来島瀬戸の渦も知ってる男のロマン二、できない がまんするのががまん怨みつらみの百万言は腹に収めてにっこり笑うがまん男のがまんの前に壁は崩れる氷もとける三、自分のみなりにかまっちゃおれぬあとは たのむぞ可愛い女房俺は大将まっ先かけて浴びる火の粉に身はただれてもいかにゃなるまい勝たねばならぬ(星野哲郎)

2005年8月20行軍B

な んという長い句かと思ったら、これは「男の劇場」の歌詞だったのか。星野哲郎氏は大正一四年山口県東和町生まれだから愛媛県に近いだけで、あんまり関係な いし。更生保護会雄郡寮だから、こういう気持ちで更生するということなのか?よくは判らないが、そういうことなのだろう。と、納得したところで、ようやく 雨から開放されて、帰宅したのであった。

【02】拓川町 相向寺双葉

【02】真宗の伽藍いかめし稲の花(正岡子規)

2005年6月5日行軍A(俳句の里・城南(14)、旧城南(17))

明 治28年10月2日、愚陀仏庵で静養していた正岡子規が、石手川を散歩したときの句だという。いわゆる、この時期の三回目の散策である。繰り返すようだ が、1度目が湯渡橋方面、2回目が御幸寺山麓、3回目がこのあたり、4回目が道後温泉、5回目が今出方面である。また、拓川といえば、子規の叔父加藤拓川 が浮かぶが、拓川町とは彼の偉業を称えて命名したものと言う。彼の墓が相向寺にある。

【03】土居田町 鬼子母神堂双葉

【03】じゅず苡や昔通ひし叔父が家(正岡子規)

2005年5月29日行軍A(俳句の里・城西(2))

な んだか怖い名前であるが、「鬼」という文字が気になるだけで、実際には、鬼子母神堂は、安産・子育の神様である鬼子母神を お祀りするお堂だという。周辺は人家の建て込んでいる。正岡子規の叔父が余戸に住んでいたこともあって、今出へ行く際に読んだとされ、当初は「じゅず苡」 が「鳩麦」だったと碑に書かれている。

ちなみに、【01】は地図で南から北へ、【03】は東から西へと走り抜けたのだが、両者が近いところにあるということに、今になって気づいたものだ。

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