【01】森のりんごを売れる椿市(饒秋)
2005年8月20日行軍B これと同じ碑が椿神社にもある。椿神社のサイトを見ると、句碑玉垣というのがあって、会社、個人、団体が奉納しており、ずらっと並んでいる。ただ、碑の場所が雲門寺の墓地となっていることから、あるいは饒秋のお墓なのかもしれない。 |
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【02】内川や外川かけて夕しぐれ(正岡子規)
2005年6月5日行軍A(俳句の里・城南(8)、旧城南(12)) 松山中央高校がこの日の最遠点である。ここから北上を始めて、最初に渡る川がこの内川である。ここで、外川というのは重信川らしい。その内川は市坪のちょっと東、中川原橋のあたりで重信川と合流する。 |
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【03】塹壕乃中与り蝶の翔ち尓計里(岡田広稔)
2005年8月20日行軍B 句碑の作者がまったく判らない。まあ、あえて判ろうとする気もないのだが、それにしても判らない碑が多すぎる。【04】黄昏るゝ院に人なし白桔梗(柏紅葉)
2005年8月20日行軍B 【04】月従いて汽車ふるさとへ古里へ(河本善耕子)
2005年8月20日行軍B |
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【06】南無大師み像仰げば堂前のいちょうの大樹芽ぶきそめたり(中川実温)
2005年9月11日行軍B 仏教の全国寺院案内サイトで検索すると、本覚寺の住職が中川氏になっているから、住職さんの句碑かもしれない。ただ、ひとつ気になることは、ここが「石井東」になっているから、石井東校区なのかな?ということ。実は、この寺の南側ほぼ隣接地に石井小学校がある。さらに、小学校を突き抜けてそのまま南南西方向に上記2番の立石橋がある。 どうも、松山市内の校区割りはよく判らない。 |
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