松山句碑めぐり(石井)

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【01】居相町 伊予豆彦神社(石井)

【01】 鳴呼鈴が鳴る平和の鈴天を仰ぎ地尓伏し太子を偲ぶ神功皇后の御徳を讃え世界同胞平和越叫ぶ朝はお早うお早うと昼者協和し今日□和夕尓感謝ありがとうこれが 平和の始免なり物や名誉や権力は生きるため尓は役立天ぞ活かされる身能四合せは誠の業尓励むこ登人種国籍貧富能差別はあ連ど人は皆神の子として活かされる 平和建設築かなん(出居清太郎)

2009年6月21日行軍D

出居清太郎は栃木県出身の宗教家で、全国を回った際 に椿を植えたというから、それでこの句碑があるのかもしれない。


【02】恵栄なもしお椿まいり道後の湯(河本南牛史)

【03】賽銭のひゝきに落る椿か奈(正岡子規)

2005年6月5日行軍A(俳句の里・城南(9)、旧城南(13))

立石橋から伊予豆比古命神社までは、想像以上に近かった。そして、ここは、城南コースの大御所で、3箇所の句碑がある。
 「賽銭のひゞき」とは、まさに毎年旧暦正月8日「椿さん」のことだろう。例年、この3日は賑わい、交通機関も警察も総動員となる。このあたりで月極め駐 車場を借りた場合、椿さんの時期だけ駐車しないという契約を結んだら、月額1000円安くなる。そのくらい椿さんは特別なところなのだろう。ここには、 「こどもおみくじ」があって、かずまる曰く「またここへ来たい」要するにおみくじを引きたいということなのだろう。


【04】想衣婆於母和禮留(長曽我部勝)

2009年6月21日行軍D

「長曽我部勝」で検索すると、椿神社中興の祖や伊予豆彦神社名誉宮司という言葉が出てくる。


【05】句碑にしたしく萩の咲きこぼれてゐる(種田山頭火)

2009年6月21日行軍D




【06】鈴ひけば神とわたしに虹の橋(仲川たけし)

2009年6月21日行軍D




【07】椿祭は多して神威雪となる(品川柳之)

2005年6月5日行軍A(俳句の里・城南(10)、旧城南(14))

品川柳之は本名三好柳之助 、明治34年10月15日北宇和郡吉田町に生まれる。「椿さん」の頃は1年で一番寒い時期だといわれている。「椿さん」が終われば寒さが底を尽くといわれることから、多分このときも雪が降っていたのだろう。


【08】むかしむ可志日本能久尓に陽か照りて父能古恵にてもみす里の唄(大野静)

2005年6月5日行軍A(俳句の里・城南(11)、旧城南(14))

大野静は明治25年上浮穴郡父二峰村(現久万高原町)に生まれる。月刊歌誌「にぎたづ」を編集、主宰して、愛媛歌人クラブ会長として活躍したと言う。


【09】予の国に春立つ椿祭可な(小倉虹男)

2009年6月21日行軍D


【02】東石井町 椿石材センター石井

【10】椿活希て香焚い天佛越刻む哉(正岡子規)

2006年5月30日行軍B

これは以前、かずまると巡ったときに、当初は椿神社近くの東石井町にあるとあったのが、どうも石材センターそのものが引っ越したようだった。句碑そのものは新しいようだが、再びサンパークまで遠回りをしてみたところ、句碑を発見した。
だから、ここから居相町伊予豆彦神社の間に立石橋があるのだろう。

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