松山句碑めぐり(椿)

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【01】市坪北1丁目 市坪集会所(椿)

【01】荒れにけり茅針まじりの市の坪(正岡子規)

2005年8月20行軍B

正 岡子規が明治25年の7月下旬に伊予郡永田村の武市庫太を訪ねていったときに詠んだものらしい。「荒れにけり」とは、多分石手川と小野川の合流地点だか ら、しばしば氾濫をしたのだろう。ここに限らず、築城にあたっては城を守るため、城の反対側の築堤を意図的に脆くしている。今治城と蒼社川も然り。現在に いたっても築堤の補強に問題があるのか、この辺りの小野川は今でも浸水する。ただ、この碑は近くにある素鵞神社にもあり、こちらは「俳句の里巡り」に登録 されている。

【02】市坪南2丁目 素鵞神社椿

【02】荒れにけり茅針まじりの市の坪(正岡子規)

2005年6月5日行軍A(俳句の里・城南(13)、旧城南(16))

明 治25年、正岡子規は7〜8月の間帰郷し、7月下旬に伊予郡永田村の友人武市庫太を訪ねている。これはそのときの句である。「荒れにけり」とは、当時石手 川の下流域は度々氾濫していたことによる。加藤嘉明が松山城を造り、足立重信が岩堰から石手川への水路を造ったことは事実だが、築城の際には、城を守るた め、意図的に白と反対側の堤を切れやすくしていたというのは案外知られていない。今でも小野川の北石井付近ではよく氾濫している。シミュレートで出合付近 あたりが決壊したら、JR松山駅付近でも2メートル水没するという。

【03】市坪西町 坊ちゃんスタジアム横椿

【03】草茂みベースボールの道白し(正岡子規)

2005年8月20行軍A(俳句の里・城南(13)、旧なし)

この句は明治29年「寒山落木」に発表された句である。正岡子規が野球殿堂入りしたことは記憶に新しいが、結構野球に関する俳句や短歌が多いことに、さすがは俳句王国と野球王国の基礎をつくっただけのことはあると、球場を見上げながら改めて感動する。
などと上を向いていたら、急に雨が降り始めた。しかも、土砂降りである。トイレに行っていたかずまるが慌てて、球場の下へと走ってくる。ここにいても仕方がないから、球場の中にある博物館「の・ぼーるミュージアム」で時間をつぶす。
閉館時刻となった午後4時半頃になって、ようやく雨が上がったため、坊っちゃんスタジアムを後にする。それにしても、この日は何度雨宿りをしたことか。

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