【01】奮然蹶起唱勤皇堅守孤城意気剛来訪当年争戦跡表中碑畔立斜陽(小原六六庵)
2005年8月20行軍B 星 岡温泉は名前からして道後温泉に比べると地味なのだが、街の中心部に近いのに、いかにもひなびた温泉という気がする。碑のある場所は競輪選手の保養所のよ うな場所にあった。以前、バースデイ切符を利用して児島駅から宇和島駅まで特急グリーン車に乗車した時、屈強な太股男の集団がグリーン車に乗車していたこ とがある。なんだか皆さんコワい雰囲気だったのだが、出てくる言葉が熱血なので、さては?と思っていたら、皆さん観音寺で下車をされた。そういう人たち が、ここを利用しているのか、と妙に納得する。小原六六庵は昭和の書道家で、六六庵吟詠会、六六庵吟社を創立している。現在でも小原六六庵に学んだ書道家が市内で書道塾を開いているようだ。 |
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【02】天山のわれて落ちぬるおもかげや今も雲井に残る三ケ月伊予二名集より
2005年8月20行軍B 【03】神獣鏡幻想 天山の四季筑紫から鏡を載せた舟が着く春の天山小野川の岸相聞の歌垣のあと天山の天王が森夏草の原さにわな天山の斉庭に山菜川の魚を並べ賑わう新嘗の日太占の鹿の骨やく忌火鑽り鏡を埋めし雪の天山(篠崎勝) 【04】ここにきて軒端に見つる天山の影もかしこし神の香具山(藤原重春)
2005年8月20行軍B 確か、ここには3碑あったはずなのに、1碑が見当たらない。と思って、よーく見てみると、ひとつの碑の中に四番と五番の碑があった。それにしても神獣鏡幻想とは何だろうか。天山にある松山市の建てた案内板によると、「伊予国風土記」、おそらく「伊予二名集」でもそうなのだと思うのだが、天上にあった山が地上へ落ちてきたところ、途中で片方が大和(奈良県)の天香具山となり、もうひとつが天山になったのだという。 |
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【05】れうらんのは奈のはるひをふらせる(野村朱鱗洞)
2005年6月4行軍A(俳句の里・城東(5)、旧城南(3)) 「れ うらん」とは、「りょうらん」で花の咲きみだれるさまをいう。この句も五七五になっていない。私のレベルからして、定型句になっていない俳句というのは、 その価値がよくわからない。が、最近世界で注目を浴びている俳句であるが、横文字で書いた場合は当然五七五になるわけがない。流れるように文章が書かれる だけである。あるいは、定型句でない一派からの派生形が世界に俳句を広める結果となったのかもしれない。 |
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