【01】お遍路の誰もが持てる不仕合(森白象)
2006年5月30日行軍B(俳句の里・城南(5)、旧なし) 森白象は前にも述べたとおり、高野山管長で座主大僧正とあるから、八坂寺に句碑があるのもそういうことなのだろう。 |
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【02】久谷村を緑にそむる時をしもたのしみにして杉うゑにけり(昭和天皇)
2006年5月30日行軍B(俳句の里・城南(8)、旧城南(12)) 昭和天皇の句碑は松山の中では他に興居島へはあったが、あと国道33号三坂峠付近にあるらしい。だが、この三坂峠へは自転車ではとても行けないうえに、自動車の場合、どこにあるか特定できていない以上、行ったり来たりすることもできない。結局諦めることにした。 |
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【03】山川艸木悉有佛性(河東碧梧桐)
2006年5月30日行軍B(俳句の里・城南(4)、旧なし) 河東碧梧桐は明治43年8月に1週間、大蓮寺で俳夏行を行い、その内容を「日本及び日本人」に発表した。また、この俳夏行に、現在の松山市平田町にある常福寺から森田雷死久がやってきて感銘を受けたことは有名である。 |
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【04】松に高くある早春の風を聞く(森薫花壇)
2006年5月30日行軍B(俳句の里・城南(3)、旧なし) 森薫花壇は明治二四年伊予郡余土村で生まれ、本名福次郎。明治41年頃に俳句の世界へと入り、当初は河東碧梧桐門下として、その後は森田雷死久を師とする。この句碑は昭和37年に設置されたという。 |
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