かずまる特攻隊in関西 |
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(2005年3月12日、撮影は全て同日) |
かずまる特攻隊最終章となる関西行軍であるが、出発日の3月11日はとても3月と思えないほどの陽気、翌12日は寒の戻りが予想されている。今回は夜行船で、かつ神戸港到着が午前5時半ということもあって、一体かずまるにどのような服装をさせたらよいのか迷う。 ただ、幸いなことに心配された雨もなく、予定どおり伊予鉄衣山駅から電車で高浜まで向かうことができた。車掌はなんと坊っちゃん列車の「S3車掌」であった。車掌さんに見送られて、高浜からバスに乗り込んで松山観光港へ到着する。 我々はかずまるのことを考えて1等個室の乗客となる。この部屋がある船のために、日程が決まり、さらに早いほうの船便となった。船内は異常な陽気もあって、冷房までかかっていた。シングルベッドであるから、親子2人では狭いのはやむをえないとして、かずまるは暑いと言ってなかなか寝なかった。あとで「どこかに(船が)止まっていた」と言っていたから、今治到着まで起きていたらしい。私のほうが先に寝ていた。 が、朝4時40分頃に起きてみると、「本船は5時10分に到着します。」というアナウンス。げげっ、朝5時半でも早いのに、20分も早着かい!というわけで、かずまるをたたき起こして、下船の準備をする。船は幸いにも乗客が少ないで、連絡バスへ乗り継ぐ乗客は少なく、座ることができた。が、それでも最後の10名ほどは積み残しをしたようだが、彼らはどうなったのだろうか。後続便があるなら問題ないが、15年ほど前の私のように歩いて(今ならもちろん新交通システムがあるが)車道を御影までいくハメにならなければ良いと思う。その心配があるなら、この船は使い勝手が悪いということになるのだが・・・(注釈:15年ほど前にバスに乗り遅れたときは、六甲ライナーもなく、自動車専用道のような道を1時間半ほど阪神御影まで歩いた。) (新大阪駅での700系新幹線のぞみ110号) 阪神御影に着いたのが5時40分。この時間の阪神電車は普通便しかなく、寒い中を5時47分発の梅田行き電車を待つ。時間があるので、新大阪にでも行こうかと思う。この阪神御影は妻の高校の最寄り駅でもあるのだが、私にとっても阪神大震災の時の思い出の深い駅でもある。神戸へ震災復旧作業に来たときは、最終日に灘区役所近くからここまで約1時間20分ほど歩き、御影から梅田まで電車に乗ったのだが、御影のホームが狭いなあ、と思ったものである。 我々は時間をもてあましていたのであるが、6時を過ぎて明るくなり、途中から最前列に座っていたし、なによりも普通電車であるから、時間つぶしも兼ねながら6時30分頃に梅田に到着する。そこから御堂筋線で新大阪まで行って、切符を買っているうちに、7時発の500系のぞみを見損なって、しかたなく、700系新幹線を見送る。いつもながらに思うが、700系新幹線は「クレヨンしんちゃん」に似ている。 (新大阪駅での特急スーパーはくと3号) 今日の予定は、泉州人さんが大阪7時45分発の新快速に乗り、Yoshikenさんが明石まで出迎えてくれるということで、その新快速が出発する7時40分の10分ほど前に在来線ホームへと降りた。すると、そこに泉州人さんが立っていた。スーパーくろしお2号が停車しており、これでやってこられたのだそうだ。そのスーパーくろしおは7時35分に出発するが、泉州人さん曰く「土曜日だからか混んでいる」と言う。 (新大阪駅を出発する特急スーパーくろしお1号) めざす新快速は幸い12両であったので、最前列の車両の最前列に2席後ろ向きに空席があった。ここにかずまるを寝かせる。なにしろ、4時50分起きであるから心配である。大阪からはかずまるが寝ている2席を含め4席が空いたので、私もそこに座る。泉州人さんはしばらく最前列で立っていたが、そのうち私の隣に座った。 本当は大阪〜京都間の複々線の方が列車離バラエティに富んでいるのでよいのであるが、大阪〜神戸間の区間もなかなか楽しい。駅間が長いので、じわじわと追いつくという楽しみがある。私の鉄道模型も一応その感じを出したいのであるが、どうなるのであろうか。 明石からYoshikenさんが乗ってくる。今日の予定は昨年夏に一度Yoshikenさんが提案したコースを予定している。加古川線の電化状況と姫路城である。姫路城はかずまるの提案である。かずまるは城が好きらしい。ちなみに、私は姫路城へは8回目になるが、これは松山城天守閣に行った回数あんまり変わらない。 (加古川線125系電車・加古川駅) 加古川に8時35分に着いて、8時53分の加古川線327Sに乗る。125系という電車で、3両なのにZパンタが4基も載っている。この電車でうらやましいのは、ワンマン運転であるのに身障者用トイレを備えていることである。JR四国の場合、7000系にはトイレがない。バリアフリー法の関係でトイレを作るならば、身障者に配慮をしなければならなくなったので、それならばトイレを作らないという本末転倒のようなことをやっている。それから、シートは転換クロスシートの2席+1席配列になっている。また、ちょうど中間部は異様にシートピッチが開いていて、グリーン車以上にゆったりと座れる。 加古川線で厄神まで行って、車両基地を眺めて引き返す。加古川線というだけあって、加古川に沿っているため、風が冷たい。私は17年ほど前に一度厄神から三木鉄道で三木市まで行ったことがあるが、それ以来である。当然その頃の加古川線は電化をしておらず、この付近の記憶もほとんどない。 9時36分の330Sで折り返すことにしたが、今度は単行で、しかも乗客が多い。こうなってくると、さきほどのシートピッチの広いところが無駄以外何者にも思えなくなってしまう。これが鉄道輸送の難しいところである。が、次の駅で更にどどっと乗ってくるとなると、加古川線の将来は結構明るいものがあるようにも思う。そのうち、1時間に2本ある加古川発着の快速電車が厄神まで直行したりして・・・ (加古川線125系電車・厄神駅) 加古川からは再び快速電車でひめじ別所へ向かい、ここで貨物などを見物したりして、次の電車で姫路に着く。ここで驚いたのが、加古川〜姫路間の4駅は日中30分間隔でしか電車が停車しないということである。我々の場合は朝のラッシュの調整時間帯ということもあり、15分後に乗れたのだが、これは由々しき事態である。以前の在来線特急がバンバン走っている時代ならともかく、今の時代にそれはないのではないか?と思う。それとも、山陽電鉄をなめているのだろうか? ともかく、姫路に10時23分に着いて、10時45分発の姫路城をループする100円バスに乗る。このバスは伊予鉄道で最近走り始めた「マドンナバス」とほとんどそっくりなのだが、Yoshikenさんによると、もう数年前から走っているのだという。多分伊予鉄道に乗りなれた者がやってきたら、「同時導入?」と思ってしまうに違いない。 この姫路というところは、妙に縁のあるところである。母親の友人がいた関係で中学校にはいるまでに3回出かけた。昭和48年には今治少年合唱団にいて、姫路市に招待された。このときは往復とも今治〜三原間高速船、三原〜岡山間急行山陽、岡山〜姫路間新幹線であった。阪神大震災の復旧派遣の際には、当時姫路まで新幹線が走っていたこともあって。駅前で物資調達したし、その後1年間神戸派遣の話があった際(実際には派遣はなかったが、)には、姫路市内の不動産屋さんを物色したこともある。そして現在Yoshikenさんがいて、かずまるが妙に姫路城にこだわっている。 (姫路城南側) しかし、よく考えると、時間はあまりない。我々の姫路出発時刻は13時01分。少々あわただしいが、これから天守閣へ行ってみることにする。姫路城といえば、松山にいれば結構その名前が出てくる。「松山城は、姫路城、和歌山城と並び、日本三台連立式平山城・・・」という説明である。が、ここでじっと見ていると、なんだか世界遺産姫路城を松山城と一緒にするな、という気分になる。 姫路城は時代劇のロケ地として有名であるが、私としては、小学生時代になんらかの学習雑誌で姫路城の紹介をみたときの印象が未だに強い。その中には当然「お菊井戸」もあるのだが、なんといっても「姫路城が落城したときの逃避経路」というのがあって、そこから水路を船で脱出するというものである。外堀が埋められている現在、それを探すのは難しいのだろうが、一度は天守閣からのルートを探してみたいと思う。というわけで、同行者にしつこいくらいに説明をしておく。ちなみに、この日もどこかのテレビの取材が入っていたようだ。 天守閣の最上階まで上がって、そして降りてくると、途中でかずまるが「ここへ行く」といって細い道を指差す。ちょうどそのときの我々は「お菊井戸」の方に気が行ってしまっていたのだが、かずまるが行った先は、今までとは違う、少々陰気な降り道で人気もあまりないところであった。この道が先ほどの「脱出経路」であった可能性が高い。 (姫路駅での181系特急はまかぜ) 姫路城の東側に出て、動物園へ行きたがるかずまるを無視して、少々北側に傾いている天守閣を見て、そしてパスで姫路駅へと戻り、昼食をとる。時間はあと1時間である。 姫路駅前で昼食をとって、山陽電鉄のホームを見て、JR姫路駅へ入ると、ちょうど播但線ホームに181系特急はまかぜがいる。あとでYoshikenさんから教えてもらったが、山陰本線餘部鉄橋付近の強風で列車が遅れ、姫路〜大阪間が運転打ち切りになったため、姫路駅で見られたのだそうだ。 (姫路駅での100系こだま657号) 姫路13時01分発のこだま657号は姫路駅で8分停車し、その間に500系のぞみ13号と300系のぞみ179号に抜かれる。が、今日は後者は運転日でなく、500系にだけ抜かれて、いよいよYoshikenさんと泉州人さんのお二人と別れる。 (姫路駅を通過する500系のぞみ13号) このこだまのシートは、2+2の4列シートである。我々は2号車に座る。こだまは結構空いており、指定席と違って、かずまるの座席を心配しなくてよいのがいい。このシートの印象としては、元グリーン車というだけあって、シートが大きく乗り心地が良い。ただ、幅が広いだけに、シートピッチが通常の普通車と同様だと、必要以上に圧迫感を受けるような気がする。同様に前の座席の頭の部分が高いので、前が見えにくいような気がする。通路が中央にあるのに、ドアが少々山側によっているので、その場所に座ると少々気を使うような気がする。 が、実際の私は相生を過ぎるとずっと寝ていた。気がつくと岡山、次に気がつくと新倉敷、次に気がつくともうすぐ新尾道に到着する。というところで、かずまるがいない。いったいどこに行った!?と思って1号車を探して、3号車に行こうとすると、かずまるが歩いてやってくる。「お父さんこの電車6両つないでいる」という。 (三原駅での115系電車) 14時18分三原到着。三原発の高速船まであと70分ほどある。今治に到着してからの乗り換え時間も1時間ある。どうも今回は効率が悪い。三原はともかく、今治の1時間はいただけない。しかも、三原に到着すると雪が舞っている。駅前のスーパーで時間をつぶしてから港へ向かうと、思ったより港が近かった。三原から高速船に乗るのは25年ぶりであるが、記憶が薄れてきたようだ。 そもそも、三原から高速船に乗ろうと考えたのは、仕事で船を利用していて、橋づたいに船に乗ったらかずまるが喜ぶだろうと思ってのことである。が、なんと、今度の船は、そのいつも借り上げている船そのものであった。我々が借り上げるのは平日であるが、平日はもう一回り小さい船が定期航路に着いている。土日はこの船が運用に着いているようだ。というわけで、通常仕事の時に座る席にかずまると座る。 (「せと観光ボート」所有の今治〜三原高速船) 船は三原を出ると、ぐんぐん南下する。この船には客席から解るようにGPSのモニターがあって、航路には線が引かれていて、今どこを走っているか一目瞭然に解る。が、しばらくして、「お父さん、違うところを走っているよ」という。通常三原の南にある佐木島の西側を呉線を望みながら南下し、生口島の西を抜け、広島県生口島と愛媛県大三島の間の多々羅大橋を抜け、大三島と伯方島の間、さらには大三島と伊予大島の間を抜けて、最後は来島海峡大橋の下を通るのだが、強風にあおられているせいか、なんと佐木島の東側を南下し、因島と生口島の間を抜け、愛媛県上島町生名島と岩城島の間を抜けて燧灘に出、その後は伯方島と伊予大島の南側を島を盾にして航行した。確かに、船は伯方島と伊予大島の間と来島海峡以外ではほとんど揺れなかった。が、結局かずまるは燧灘に出る前に寝てしまった。 今治には10分ほど遅れて到着したが、今治でも相当時間があるので問題はない。あとは17Mで帰るだけである。いつもは前の2号車に座りたがるかずまるも最近の17MはL編成がR8000系とあって、5号車に座る。いつもと違い、土曜日は結構空いていた。旅の終わりは結局いつも見慣れた風景であった。 |
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