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昭 和 60 年 冬

昭和60年3月3日(日)

徳島500頃(フェリー)大阪955(特急白鳥3号)2351青森035(青函連絡船、船中泊)

3月4日(月)

425函館745(北斗3号)1205札幌2120(急行利尻、夜行泊)

◇函館市内夜明け前、土方歳三最期の地

◇函館駅

◇札幌では藻岩山などをまわる。

◇夕食は当時としては奮発して、サッポロビール園(税込み2970円)でジンギスカンを食べた。真夏に運動をした後の時のようなビールの味であった。

3月5日(火)

617稚内1155(急行天北)1326浜頓別(民宿若葉荘)

◇ノシャップ岬

◇友人Kが宗谷岬へ行ってくる間に私は稚内公園をうろついてきた。

◇映画に出演した方の「タロ」「ジロ」

◇稚内駅での急行「天北」

◇浜頓別での急行「天北」

◇浜頓別、2日前のクッチャロ湖「氷まつり」
3月6日(水)

浜頓別542(921D)626北見枝幸715(バス)825雄武910(826D)1035紋別1707(627D)1749中湧別1838(929D)1935(国民宿舎宿泊)

◇斜内山道、右側が流氷

◇北見枝幸駅

◇雄武駅

◇雄武駅

◇興部駅

◇紋別港「流氷共和国」

この年初めて実施された冬のイベント
イベントの事務所で1時間ほど担当者と雑談したが、当時はなぜ(地元にとっては迷惑な)流氷を見に、わざわざ旅行者が来るのか解らなかった。が、流氷が観光資源になるのであれば・・・ということで開催したという。

現在の冬の北海道は2月のJRは繁忙期である。

◇紋別山展望台

行きはスキーのリフトを使ったが、帰りは徒歩。雪の中を2時間ほどラッセルして、無事下山。人間の足は結構丈夫なのだと思った。

が、予定を2時間オーバーして、サロマ湖畔の宿へ。

3月7日(木)

床丹1036(924D)1105中湧別1145(925D)1401網走(民宿アニマの里泊)

◇宿から床丹までは徒歩約1時間。

駅の待合室には近くの店の方が旅行者のために手書きの壁新聞を作ってくださっていた。
その方に後日手紙を出して、以来今日までお付き合いが続いている。

◇中湧別

日本国鉄有数の大赤字路線湧網線だが、この時期は旅行者で満員の状態が続く。

このため、一度中湧別に引き返して、再び網走へと向かう。

3月8日(金)

網走(民宿アニマの里泊)

◇天都山でK君と一日中ノルディックスキーをしていた。

◇今年は民宿では風呂を沸かさず、近くの温泉へ連れて行ってもらう。

 

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