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3 閉店が延長されていたテレビ塔も閉店の時刻が来て、いよいよ我々は札幌駅へと向かう。 夜行特急「まりも」で一気に釧路、根室へと向かう。夜行列車で夜食を食べながら、ちびちびと・・・おっと、明日は午前九時半にはレンタカーに乗るはずだから、今日はもう酒は飲めないか。旅において早起きは基本だから、当然ながら深酒は厳禁である。面白くはないが、酔っ払うために北海道に来たわけではないから、仕方あるまい。 というわけで、夜食を買い込みながら札幌駅へと戻ってきたところで、大事件が発生! ロッカーの場所が判らん! 札幌駅が広すぎて、どこのロッカーへ預けたか忘れてしまった。キーを失くしたわけではないから、片っ端から探せば判るはずだ。しかし、それ以上に札幌駅は広い。 いや、まだ時間は50分ある。落ち着け! それでも判らないから、駅事務所へ出かけ、ついでに鉄道警察隊まで出てくることになった。 そんなに大袈裟なことか? というより、皆さん、ロッカーなんか使わないだろうから、誰も判らない。 まだ、時間は40分ある。落ち着けばなんとかなる。 鉄道警察隊の人が電話で確認してはくれているが、それでも判らない。 沈黙の時間が過ぎる。あと30分・・・ というところで、私かエライことに気づいた。 「あのお、札幌駅って、改札口いくつあります?」 「向こうに東口がありますが・・・ここは西口です。」 それだ! 我々は地下鉄を降りた後、逆方向の出口から札幌駅へと入ろうとしたのだ。 「東口は、その通路をずっと行ってください」 駅員に言われたとおり歩いていけば・・・ おおっ!記憶のある風景が見えてきた。いやあ、お騒がせしました! 荷物を持ってしまえば、もう安心。もし、すぐに荷物が戻れば、逆に時間を持て余すところであったなどというのは、この際止めておこう。 いや、もうひとつやることがある。 「北海道版時刻表を買ってくる」 「そうきたか?」 妻に呆れられながらも、時刻表をゲット!さあ、ホームへ行こう。と、3人で勇んでホームを駆け上がっていくと、 まだ列車が入っとらん! しかも、特急「まりも」の出発15分前に、前の列車が出発することになっている。 仕方ないし、7月というのに、我々にとっては少々寒くなってきたから、一度下へ降りよう。 再びホームに上がる。いよいよ特急「まりも」がやってくる・・・のかと思ったら、先に「はなたび利尻」が隣のホームにやって来た。 「お父さん、185系に似てるね」 そう来たか? 当初の183系はスラントノーズが特徴的だったが、短編成化したときに、時の大学の鉄道研究会では「山陽電鉄のキットを組み立てたらできる!」と言い合ったものだ。 それが、今のようにマイナーチェンジして、さらに色塗りを変えたら、九州へと転出した185系とソックリではないか。 まあ、ともに国鉄末期の車両だから、よく似ていても不思議ではない。 そして、やってきました。特急「まりも」 これぞ、有名なスラントノーズである。しかも、後ろ側はやっぱり185系と・・・いや、幌があるからか、塗り分けの関係からか、あんまり似ているとはいえない。 まあ、似ていようと、似てまいと、別にどうということはないが・・・ そして、我々は寝台車へと向かう。 寝台車は2両連結されており、トイレが1両に2箇所、そして、こちらの車両には自動販売機がある。下2つに上1つを予約していたのだが、この車両で上段で寝ている客は一人も居ない。 オープンスペースでも、ベッド4つに我々3人が陣取れば、セミコンパートメントのようなものである。で、誰が上で寝るのかと思ったら、 「かずくんが寝る」 と、かずまるがさっさと陣取ってしまった。まあ、それもよかろうと思っていたのだが、このとき私は実に4つのミスをやらかしてしまったのであった。 一つ目、これはどうにもならない。先ほど、「この車両で上段で寝ている客は1人も居ない」と書いたが、南千歳から男性が1人、私の上段に乗車してきたのだ。なぜかは知らないが、ベッド4つ全てが埋まっていたのは、ここだけだった。 二つ目、かずまるを上段で寝させたことが失敗だったのである。サッポロを出たときはエアコンが効いていても暑いくらいだったのに、朝起きると非常に寒かった。ここで、かずまるを1人放っておいたことで、かずまるが体調を崩したのであった。 三つ目、特急「まりも」の寝台車は時刻表を見れば「始発駅出発日が11月1日から5月31日までは3000円です。」と書かれている。今は7月だから、通常どおり6300円、しかもかずまるも同額である。これは仕方ない。しかし、さらによく見れば「大人1人と子供1人、計2人で1つの寝台をご利用できます。寝台券1つ、大人の特急券または急行券と乗車券1枚、子供の特急券または急行券と乗車券1枚が必要です」 げげっ!つまり、妻子を1つのベッドで寝させることができたのか!そうすれば、6300円浮いたわけだ! いや!そんなことはどうでもよい!かずまるが翌朝寝込むということがなかったわけだ! そして、四つ目である。これほどまでに時刻表やJR北海道のホームページを見ていたのに、肝心に所を見逃していたのである。これが何かは後で述べる。 さて、寝冷えで体調を崩したかずまるの運命や如何に? 【追憶コラム】 かつて、北海道へ毎年のように来ていた時代は、札幌から稚内へ急行「利尻」、網走へ急行「大雪」、釧路へ急行「狩勝」後に「まりも」と3本の夜行急行が走っていた。私の旅行時期が全て冬だったから、駅で寝る訳には行かない。宿代を浮かせるためには、どうしても夜行列車を利用することになる。 だから、夜行列車はかなり混んでいた。でも、そのほとんどが北海道ワイド周遊券所持者だっただろうから、当時の国鉄がそれで儲かったということはないのだろう。 そして、時代は流れて、3本の夜行急行は全て特急になったが、今回の旅行段階では、特急「まりも」以外は定期運用から外され、その特急「まりも」も私が乗車した後数ヵ月後には臨時列車に格下げされてしまった。 |
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第2章 2日目 根室半島 1 夏の北海道は夜明けが早い。天気が良くないというのに、目が覚めた四時頃には、もうすっかり明るくなっていた。それにしても、特急「まりも」の速度は遅い。札幌〜釧路間は6時間45分かかる。まあ、同区間を走る特急「スーパーおおぞら」なら3時間50分ほどで走ってしまうのだが、そんなに速く走っても仕方ないから、適度に速度を落としているのだろう。 それにしても、夜行列車では、以前から時間調節をする場合がある。特にかつての夜行急行「大雪」が札幌を出た後に、同じ網走をその後に出発する湧網線経由の普通列車が遠軽で追いつくという話は有名だった。時間調節する場合は、駅で長大停車する方法もあるが、この列車の場合はゆっくりと走って時間調節するらしい。 だが、本当に寒い。この時期の釧路地方は霧がかかって、夏でもストーブがいるという。 実は、明け方、何気なく目が覚めたときに、かずまるが 「寒い」 というものだから、私の毛布をかずまるに渡し、結局私が寒くなったので、仕方なく起きることにしたのである。せめて、私の上に誰も寝ていなければ、その毛布を渡せたのだろうが、ともかくそれが運というものなのだろう。 かつて、昭和60年の冬に、今日行く民宿のオーナーがノサップ岬へ自家用車でのツアーを企画したとき、ちょうど北方領土の取材をしていた。 「北方領土とは、どのようなところだと思いますか。」 とアナウンサーが私にマイクを向けて質問したのに対して、私は 「夏は根室、釧路地方には霧がかかって夏でもストーブが必要なのに、北方領土は結構暖かいと聞いています。冬は、北方領土も釧路、根室地方も同じように寒いですから、むしろ北方領土の方が住みやすいのではないですか?」 と答えたのだ。事前勉強の賜物である。 すると、アナウンサーはびっくりしたような表情になって、 「えっ?北方領土に行ったことがあるんですか?」 そんなわきゃないだろ! そういう思い出がある。 実際、この旅行の間の天気は前半よろしくない。しかも、太平洋側にはずっと「濃霧注意報」が出ている。だから、外が見えず、列車の速度が遅く、まるでスローモーションのような世界が流れている。そんな世界を眺めながらも、いつしかまもなく釧路へ近づいてきた。 その時になって、妻が 「かずまる、熱あらへん?」 「へっ?」 かずまるが元々あんまり朝が強いほうではないが、確かに状態がおかしい。しかし、こんなところで熱を出されたら、全てが水の泡と消えてしまう。 特急「まりも」は5時50分に釧路へ到着する。我々は、根室からレンタカーで道内を回ることになっているのだが、特急「まりも」は釧路止まりである。なんで?と思うだろうが、学生時代に北海道をしつこく回っていた頃から、札幌発の特急、急行は釧路止まりだと相場が決まっていたのだ。もっとも、故宮脇俊三氏は「北方領土を失った根室の没落と関係あるのではないか?」と述べられている。 おっと、当時の上り急行「狩勝4号」が根室発札幌行きだったか? ともかく、そういうことになっていて、釧路から根室までは快速「はなさき」に乗り換えなければならない。が、 げげっ!単行ぢゃないか! かつて、キハ58系時代の急行「ノサップ」は二両編成だった。だから、てっきりそうだと思ってしまっていたのだ。今はキハ54系に置き換えられていることも知ってはいた。だが、そんな知識は全く意味をなさない。 かずまるが体調を崩している。座れなければ大変なことになる。乗換時間はわずか5分。 「ともかく走るから、かずまるを頼む。」 特急「まりも」を下車して、一目散に地下通路へと走る。私と同じように通路を走る人が多い。 負けてなるものか! が、何故か、彼等のほとんどは、釧網本線の普通列車へと乗り込んでいく。列車に飛び乗ると、思ったよりも空いている。 助かった!と思う間もなく、何かがおかしい。そう!座席がリクライニングに置き換えられている。それはいいのだが、中央を境にして、向かい合うように座席が並んでいる。しかも、前後に回転しない。前向きに座ろうと思ったら、列車の後ろ半分に座らなければならない。だから、列車が空いているように感じられたのだ。体調不良のかずまるを後ろ向きには座らせられない。左右とも唯一空いていた座席へと滑り込む。 ほっとするまでもなく、今度は妻子が無事この列車へ乗ってくるかどうかである。隣のホームには網走行きの列車が停車している。妻は、かつて松山から宇和島への列車に乗るべきところ、同じ3番ホームに停車していた別の列車の乗り込んで、逆方向へと連れて行かれた前歴がある。 が、まもなく、妻子の姿が見えた。ほっとしたものの、妻の第一声は、 「トイレあるの?」 北海道の列車は冬場に立ち往生することを想定して、全列車にトイレが完備されている。この列車はキハ54系500番台である。同じ形式の0番台が四国を走っているが、こちらは全車横座りでトイレはない。同じキハ54系でも全く印象が違う。 このシートは新幹線0系のシートの廃車発生品である転換クロスシートを当初から装備したという。この列車に回転しない前後に回転しないリクライニングシートは無意味だと思う。キハ58系などのボックスシートで十分ではないか。 実は、私は乗物酔いをしやすい。そんなことを周りに言うと、相当バカにされるのだが、実は酔い易いのだ。だから、座るときは進行方向に向かって座り、列車が動き始めたら、読書もダメなのだ。「レイルウェイストーリー」などで、世界の列車をよく見るが、世界的には回転しないボックスシートが主流のようだ。そもそも、回転するリクライニングシートはアメリカ式であって、戦後進駐軍が取り寄せたものの流れを引き継いでいるという。私にとっては朗報である。海外の列車に乗ろうとは思わない理由がここにある。 ともかく、快速「はなさき」は定刻に釧路を出発した。自宅を出発したときには、最高気温が30度を越す灼熱の世界であった。だから、長袖は一枚しか持参していない。仕方がないので、半袖や下着をかずまるに重ね着させ、バスタオルを巻いて、そのまま寝かせる。根室まではまだ2時間以上ある。あるいは、まだ回復するかもしれない。 それにしても、天気が悪い。ガスがかかって何も見えない。そもそも私が北海道にのめりこんだのは、急行「ノサップ1号」による車窓演出だと言っても過言ではないのだ。それが、全く車窓からの眺めは期待できないし、なんと言ってもかずまるの調子が気になる。最低最悪の思い出の列車になってしまったではないか。 そのかずまるであるが、さすがにプロである妻の特別調合の薬が効いたのか、途中から汗をかき始めた。なんとか、持ちこたえたようだ。ただ、一気に服を使いきってしまった。あとどうすればいいのだろう。 快速「はなさき」は、別当賀から落石にかけての絶景も一切見えないまま、終着根室へと到着した。 【追憶コラム】 釧路から根室までの区間は、私にとっても今までで最も感動したところでもある。日本離れした車窓は本当に釘付けにされたものだ。 浜中付近では、同じ車窓がエンドレスで流れているかのような錯覚を受け、別当賀から落石までの断崖の上から見る景色、ちょうどベニヤ板を見るような景色は、私を完全に北海道のとりこにした。 そして、ユルリ、モユルリ島の奇怪な島を見て、最後にまもなく根室に到着する寸前、駅の向こうに広がる流氷は、今でも脳裏から離れることはない。その光景をなんとか表現したいと思うのだが、そんな能力がない自分に苛立ちを感じる。 |