北海道親子3人の旅・回想編(漫遊紀)

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根室駅に降りたものの、冷たい雨が降っている。ここから、レンタカーに乗って、道東を回る計画になっている。

そのレンタカーの店までは、地図では駅からそう離れていないのだが、冷たい雨の前では、そして体調のあまりよろしくないかずまるを連れていくのに抵抗がある。かといって、タクシーに乗って、あんまり近距離ではまぬけである。

が、雨がやまないし、それにしても寒い。

「地図を見たら、そんなに遠くはないけど、どうする?」

「タクシーに乗っていく?」

結局私の思うとおりに、タクシーに乗ることにした。タクシーの運転士は気さくな方で、最初の信号でひっかかっていたときに話しかけてきた。

「どちらから来られました?」

「四国愛媛の松山からです。」

「私の実家は山口県です。それならば、さぞ暑いところから来られたことでしょう。」

「ええ、30度の世界から来ましたので、寒いです。」

と、しばらく、そちらの方で話が弾んだ。

「今、暖房をかけているのですよ。」

「へっ?」

今日の最高気温は13度だそうだ。これは寒いなんてものじゃない。しかも、ワンメーターでは目的地へ行けなかったのだ。北海道では、地図を見て、近いと思ってはいけない。

歩かなくてよかった!

さあ、嬉し恐ろし、北海道でのドライブが始まる。今までは、冬しか来たことがなかったから、自動車に乗るなんて考えたこともなかった。が、やっぱり、家族で夏にやってきたならば、レンタカーで移動せざるえない。そこで、少しでも慣れた車をということで、借りる車を自分の車と同じにしたのだ。その名も「イプさま」である。で

北海道のドライバーって、明らかに道外の人だと判ったら、あおりまくるのって本当なの?

北海道のドライバーって、片側一車線の道路で、2台が並んでレーシングするって本当なの?

私は、常に制限速度を守る運転をするのだけど(制限解除された場合は、一般道では時速60キロ、高速道では時速100キロ)、そんな運転していて大丈夫なの?

北海道での運転で一番気になるのがこれである。

後ろにピタリと着かれたら、抜かせたら良いのだけど、相手がヒマだったら、徹底的に遊ばれるって本当なの?

北海道の真面目な運転士が聞いたら怒りそうな話だけど、実際我々はそういう話を聞かされることがあるのだ。ともあれ、そのあたりは臨機応変に対応することにしよう。

さて、その「イプさま」だが、カーナビがついている、というより、オプションでつけてもらった。が、私はカーナビを使ったことがない。レンタカー店の人にあれこれと教えてもらったが、一体どうなることやら・・・あと、そのためか、CDプレイヤーが装備されていなかった。残念だが、仕方ないことだろう。さっそく、カーナビで納沙布岬まで設定してみる。

一応、半島の南側経由となっている。帰りは北側経由にしようと思っている。というわけで、

いざ、出発!

おっと、その前に、根室駅からこのレンタカー店までの間に速度取締りをしていたな。

制限速度50キロのこんなところで、ひっかかる程私はバカではない。なお、これからは、制限速度解除となる場合(一般道で時速60キロの場所)を法定速度、それ以外を制限速度○○キロと表記する。

カーナビを搭載した「イプさま」は、カーブの手前で「○百メートル先、右方向です」などと親切に教えてくれる。

当然か?

根室市街地から半島南側経由で納沙布岬に行く場合は、市街地で結構交差点で曲がらなければならない。そのタイミングが心配だったが、これはいい。あっという間に、納沙布岬への一本道に出てしまった。もはや迷うこともない。

【追憶コラム】

私は、過去5回の北海道では、いずれも納沙布岬を訪れている。当然ながら、全て根室駅からバスに乗車している。だが、そのまままともに納沙布岬にはなかなか向かってないのである。

@ 昭和58年4月・・・私以外にただ一人いた旅行者(実は相当旅なれた五歳程年上の女性)と一緒に歯舞で下車することになり、岬まで約8キロを徒歩で・・・つまり、最初の本土最東端へは徒歩でたどり着いたのであった。

A 昭和59年3月・・・根室駅〜納沙布岬まで素直にバスに乗車。

B 昭和60年3月・・・根室からバスに乗ったものの、珸瑤舞一区で下車。岬間約三キロほどを単独徒歩。

C 昭和62年2月・・・天候が悪く、同区間所要時間45分のところ、1時間30分かかり、しかも、後続バスは全て運休、結局岬には5分ほどいただけで引き返す。

D 昭和63年2月・・・根室駅〜納沙布岬まで素直にバスに乗車。岬では1時間30分ほどいたという理想的な旅程の中、帰りのバスの中で、これが最後かな?と思いながら・・・

最初の昭和58年4月の行軍など、内容を膨らませれば、例えば傷心の北帰行で出会った女性とでもすれば、一応小説ネタにはなるような気がする。何度か構想を練ったことはあるが、結局私には随筆かガイドブックしか書けないことが判っただけだった。

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さて、「イプさま」は快適に根室半島を本土最東端へと向かう。先ほどのタクシー同様、暖房を効かせての運転である。

私の運転する車に乗車した方は知っていると思うが、制限速度が変更になったり、制限解除したりする場合は、列車の運転士よろしく「指差呼称」をやっているのだ。

(ここから)50キロ制限!

アホか?

まあ、我妻よ、そう突っ込むな!

いやー、それにしても、ここは奮発して、排気量2400CCの車を借りたのは正解だった。思ったよりも、北海道は制限速度変更が神経質である。つまり、誰もいないようなところでは制限解除するし、人家がある場合は制限速度50キロ、集落があれば制限速度40キロと小刻みに制限しているのだ。だから、排気量が大きければ、それだけスムーズに速度対応ができる。

なんて、しょぼいことを言ってんじゃねえ!

この根室半島もそうだが、道東では想像以上にアップダウンが激しいのだ。極論を言うと、根釧台地あたりでは、ハンドルをきる回数よりも、スピード調整する方が多いのである。それにその勾配が結構きつい。だから「イプさま」で正解だったのだ。

「要するに、贅沢してるだけやんか」

「はい、すみません。でも、あんたらも、楽してるやんか?」

「これで、足をもんでくれたら最高や」

人間、一度堕落したら、元に戻れないものだ。

うーん、そういえば、堕落と墜落は文字が似ているではないか?

だから、何?といわれても困るが・・・

納沙布岬までの時間は、まさに、昭和58年4月にバスで途中下車場所歯舞のバス停は何処だ?とか、その際に途中、アイスクリームを所望しようとしたものの、実はそれは単なる牧場で、徒労に終わった場所は何処だ?とか、昭和60年3月に途中下車した珸瑤舞一区のバス停は何処だ?とか、最後は地図上では「トリトエウス」になっているのに、バス停は「トリト石」などと、なんて日本的だと思ったり、まさに20年の思い出が集約されたような記憶が脳裏を横切る。自分は歳をとっても自然は何も変わらないから、なお気が滅入るような気がする。

そうこうしながら、本土最東端納沙布岬に到着する。

雨は小降りだが、ガスがかかっていて、北方領土は全く見えない。一瞬、貝殻島の灯台が見えたのだが、だんだんと天気が悪くなってきて、それさえも見えなくなってきた。

一体我々は、ここに何しに来たんだぁぁぁ!

という気がしないでもないが、相手がお天道様だから仕方がない。

ちなみに、この貝殻島、実は単なる岩礁だったのに、魔の瑚瑶舞水道のために灯台を造り、貝殻島と名づけたために、ソ連に取り上げられたのだそうだ。つまり、「あれは単なる岩礁だ!」と言い張れば、ひょっとすると納沙布岬と水晶島の間が国境になっていたかもしれないのだ。

そのようなことを、妻子に説明したいのだが、何分天気が悪い。私にここで説明させれば、うるさいぞ!と思うのだが、お天道様相手に逆らえない。外は断続的に霧雨が降っているし、まさに濃霧の岬である。岬の展望台で時間をつぶし、というより、かずまるよ!なんで、お前は北方領土のビデオを見ながら寝てるんだ?

まあ、かずまるについて、早朝体調を崩していたから仕方ないと思っていたのだが、そろそろ岬を離れようかと思った矢先、

あの展望台に登りたい!

あの展望台とは、笹川記念館である。過去に6年間で5回ほどここへきていた間にいつの間にかできていた展望台だ。天気がよければ、ここの望遠鏡で見れば、ロシア兵が見えると言う。というより、実際、私はここではなく、先ほどの建物の望遠鏡からロシア兵を見たことがある。まさに国境の岬なのだ。

が、かずまるよ、あの展望台は霧で最上段が全然見えんではないか!

ここから、展望台の最上段が見えないと言うことは、すなわち、展望台に行っても、なんにもみえないということに他ならない。

「かずまる、展望台へ上るのはやめない?」

「一応、行かせて、お願い。ひょっとしたら、見えるかもしれないし。」

見えるはずはないのだが、ここが、家の近所ならば、きっぱり諦めさせるのだが、何分、次があるとはとても思えない。入場券分だけ無駄だと思いながら、バカだなあ、と思いながら、展望台に登ってしまった。ちなみに、受付の女性の足元にはストーブが赤々と燃えていた。

が、やっぱり、何も見えないではないか!

入場券と同時にお土産をくれたのだが、要するにこの入場券は、このお土産だと思えば良いわけだ。実に高いお土産だ。

と、ぶつぶつ言いながら、岬を後にする。吹雪の岬は経験あるが、あの時は、根室側だけが吹雪いていて、北方領土側は何故か晴れていた。なんともいえない神秘的な風景が脳裏に焼き付けられたものだ。もっとも、たった五分ほどで折りかえしのバスに乗ったわけだが・・・

おっと、ここへ来たからには食べたいものがある。

それは、イクラだ!

今日宿泊する民宿「きりたっぷ里」では、かつて連泊したとき、2泊目に「イクラ丼とサーモンステーキ」が出たものだ。学生時代ほとんどそれ目当てに、2泊して一度別の宿に泊まって、また2泊したものだ。

だが、私はそれ以来いくら丼は口にしたことはない。いゃ、それは大袈裟かもしれないが、本当のいくら丼とは思わないことにしていた。世間では、安物のイクラはイクラではないと言われれば、そんなもの食べたくはないのだ。

岬の近くにある小さな食堂が開いていたので、そこで食べることにする。

「すみません、イクラ丼2つ」

「へい、いくら丼二つね」

かずまるは仕方ないから、ラーメンでごまかす。北海道ではラーメンの上に、なんでも乗せる習慣がある。ここの展望台にある食堂でも毛がにを乗せて○千円というものを見たことがあるが、私はそんなものは食べない。なぜならば、私はカニさんが嫌いだからだ。

それでは、理由になっていないではないか?

すみません。

いや、本当は、カニを見るのと触るのが嫌いであって、ちゃんと身を取ってくれて、出されたら、食べられるのだ!

「そこまでして、食べんでもよい!」

すみません。

いや、ここは、カニの話ではなく、いくら丼の話である。程なくいくら丼がやってきた。

いやー、このぷちぷちとした、いつもとは何かが違うこの食感、これを待っていたんだ!

以前、地元の握り寿司でハマチを食べて、

「あのハマチ、少々硬いのが難点でねえ」と言って

「ハマチは硬いのが天然物だ!バカ者!」

と、大恥をかいたことがある。

いやいや、ここはハマチの話ではない。

ともかく、これが本物の味じゃ!この弾力性がなんともいえない。実に美味い。これをおかわりしたら、そのうち味の濃さに、うっ!と来るかもしれない。だが、それまでの間が至福の時なのだ。

決して安い金額じゃないから、お茶漬けのように口に流し込むのは、もったいない。が、そのぷちぷちがなんともいえない感動に浸してくれる。

うぐぐぐぐぐ・・・!

ああ、美味かった!

「そーお?私は少しむつこかったけど・・・」

まあよい。北海道ならではの味に浸れれば良いのだ。

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