北海道親子3人の旅・回想編(漫遊紀)

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雨の降りしきる伊藤牧場を後にして、我々はいよいよ今日の宿へと向かう。再び国道44号線を東へと進む。霧多布へは浜中からではなく、茶内から入ろうと思っている。そうすれば、浜中と茶内の間にある酪農展望台を通るし、霧多布へも高台から見下ろすことができる。天気が悪いから眺望は絶望的だが・・・

めざす茶内の交差点はには、ガソリンスタンドとコンビニがある。だんだんと浜中が近づいてくる。

『次の交差点を左折です。』

カーナビの指示どおり、確かにガソリンスタンドとコンビニがある。おっと、今日の宿は民宿というより、ユースホステル的民宿だから、少なくともかずまる用のジュースとかパンとかは買っておこう。

というわけで、一旦右折してコンビニに入り、買出しをして、カーナビの示す道へと入っていった。ただ、私の脳裏には、目的の場所よりも二キロほど距離が短いような気がしていたのだ。

あーー!ここは、浜中駅前ではないか!

まあ、本来はこの道の方が目的地へは近いわけだが、私は先の理由で茶内から曲がろうとしていたのだ。まさか、その両方の交差点にガソリンスタンドとコンビニがあろうとは・・・

というより、なんで、私の土地勘は冴えてるんだろう?

土地勘はさえているのだが、天気運はすこぶる悪いらしい。本来ならば、霧多布岬とか、琵琶瀬展望台とかに寄ってから、民宿へと行く予定だったのだが、天気が悪い以上に、霧が深くてなんにも見えない。

霧多布とは、よく言ったものだ!

さて、今日の宿は民宿「きりたっぷ里」である。元々私が学生時代によく立ち寄った宿で、前述のとおり、男女別雑魚寝の格安民宿、いわばユースホステルのような形式でありながら、ユースホステルのような規則等の縛りのない宿である。

昭和60年前後には、北海道内にはこの手の民宿が増殖していた時期でもあった。しかも、それぞれの宿が特色を持っていたのだ。昼間は自然に触れ、夜は宿の雰囲気を楽しむ、そして仲間に出会う。そんな時代であった。

だが、「きりたっぷ里」8泊目、そしてしばし最後の北海道となった昭和63年2月、オーナーの武士さんは、こういう安宿全盛の中だというのに、

「この手の民宿は、そろそろ頭打ちになる。」とおっしゃったのだ。

なぜかというと、時代はバブル直前、リゾートホテルが建ち並び始めた。旅人がお洒落な旅を求め始めた。しかも、東京からなら、3万台とか4万台とかで行ける。そういう時代を敏感に感じたに違いない。

それから19年が経過した。そういう宿に我々のような親子連れが行って、果たしていいのか?宿自体が個室傾向にあるからいいのだろうが・・・と思いながら、宿に到着したのであった。

「おかえりなさい。」

北海道のこの手の民宿特有であるお出迎えの言葉だ。

懐かしいやら、照れくさいやらの言葉なのだが、一番びっくりしたのが、実はオーナーの武士さんが結婚していたことであった。それもどうやら、女性の方が押しかけてきたらしいのだ。

そういえば、昭和60年頃、この宿を離れたときに、武士さんの生き方に感銘したものの、実際に「生活」となると「ちょっとね」と言った女性の言葉を思い出した。雑魚寝していた時に、今夜初めて知り合った仲間と「武士さんは理想を追い続けすぎるんだ!」と議論したこともある。が、ともあれ、それはそれで、めでたいことである。

客はというと、幸い我々家族連れの他は、常連と思われる50歳前後の夫婦と若いカップルの計7名であった。かずまるにそういう宿であることを言い聞かせていただけに、なんだか安心したような、拍子抜けしたような。

ここの宿の一番の目玉は、なんと言っても「寿司食べ放題」である。だが、武士さんは、最初からきっぱりと「それを目的で来て欲しくはない!」とおっしゃっている。

それにしても、この宿には思い出が多い。昭和60年頃のアルバムも見つけた。

「モ○ラ〜や!モ○ラ〜や!」

と絶唱しながら、寿司を握っていた武士さん、

近くの小学校へ卓球をしに行って、

「お前なら、左手でも勝てそうだ。」

と、言われ、それでもあっさり負けて、

「ひょっとして、お前なら、足でも勝てるかも・・・」

と、足の指にラケットを引っ掛けて、片足で跳びながらラケットを操って、それでも負けた私。

歌手のイルカが好きで、一日中イルカの曲をかけていたのを、私が持参していたオフコースの曲をかけたら、頭をこつんとされた思い出、

そして、「この手の民宿は、そろそろ頭打ちになる。」とおっしゃられた言葉全てが、過去から蘇ってきた。

が、なにか武士さんが迷っているような印象を受けた。それは、宿の料金体系にみられるような気がした。「寿司たっぷりコース1泊2食付6325円」は、我々にとっては、食事その他を考えると破格値である。だが、かつて3200円だったことを考えると、その金額だったから、学生時代にここを知ることができたはずなのと思う。それを考えると、料金体系が中途半端のような気がしてならない。私が思うことではないことだろうけど。

私が学生だった頃、「きりたっぷ里」は北海道の中にあるこういう民宿の中では、トップ10の上位にランクされていたと思う。しかも、浜中にはレベルの高いと言われているユースホステルもある。中には、どちらへ泊まろうかと迷いながら、1泊ずつしていた旅人もいたのだ。

時代が違うとはいえ、その時に、今の金額だったら、果たして私はここへやってきただろうか?私は、こういう宿を求めて、北海道に何度も足を運び、うろついたのではなかったか?と思うのである。

そんなこんなで、北海道最初の宿の夜はふけていったのであった。

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 第三章 三日目 釧路から網走へ

昨日は雨にたたられた。今日はどうだろうかと窓から外をのぞいてみると、なんと叩きつけるような雨である。

「大雨洪水警報がでている。」

と武士さんが言う。

しかも、テレビを見ていると、根室本線厚岸〜糸魚沢間で線路冠水のため不通になっている。

天候の並びを見ると、もう一日遅く北海道入りしていれば・・・と思われたのだが、もし本当に昨夜夜行列車に乗っていたら、

釧路で途方にくれていたはずだ!

もし、機転がきいて、速やかに釧路〜根室間のバスに飛び乗れば、なんとかなったかもしれないが、同バスは「予約制」になっているのだ。どうなっていたか判らない。

これまた、北の幸がいっぱいの朝食をとって、「きりたっぷ里」を出発する。

昨日行けなかったから、琵琶瀬展望台へ寄ろうかと思っていたが、この豪雨ではそれでころではない。仕方がないから、せめて昨日、本来通ろうと思っていた道へと入る。すると、

『進行方向が逆です。』

と、カーナビが抜かしやがった。私の方向に間違いはない!と突き進む。

『進行方向が逆です。』

『進行方向が逆です。』

『進行方向が逆です。』

じゃかーしー!

そのまま無視して走っていると、そのうちカーナビが静かになった。

「あーあー、カーナビを怒らせた。」

妻がからかうが、そのうち、左手からやってきた道と交差したら、またカーナビが動き始めた。要するに、今私が走ってきた道がカーナビに登録されていなかったのだろうとは思う。でも、この道は「道道」だぞ。

そう!我々の地方では県道でも、大阪府や京都府では府道、そして、北海道では道道なのだ。

そうして、まもなくJRの踏切を越えて、国道44号線に入る。

ほーら、私の方がエラかったじゃないか!

我々は一路釧路へと向かう。が、浜中から釧路までは、車で走ってみると結構遠い。釧路市街地へ入る直前のコンビニで食糧調達をして、いよいよ釧路市街地へと入る。

この釧路市は、地図で見ると、まさに釧路湿原の上に造られた街という感じがする。そして、なんと言っても、道路が複雑だ。国道44号を真面目に走ると、とてつもなく大回りをさせられる。だからと言って、案外街をまっすぐに突っ切る道がない。釧路市街地の北側には「釧路湿原道路」というのがあるが、釧路市街地へ東側から入る場合、この道まで行くのが大回りだ。だから使えない。

その中で、唯一「道道113号」というのが、街の西側で大きく迂回するものの使えそうだ。入口は、釧路市街地へ入って、左へ回って、次に左へ回るところを右に回れば良い。しかし、国道とあろうものが、街を突っ切るのに、2回も左折させるか?

そして、その交差点がやってきた。なんだか複雑そうな交差点だが、前の車についていけば、なんなく右折できた。すると、再び、

『200メートル先、左折です。』かと思えば、

『200メートル先、右折です。』

一体、どっちへ曲がればいいんじゃい!

使えんカーナビだ。私の頭の方がよっぽどエラいではないか。

要するに、私に国道を走らせたいらしい。市街地に入る場合、街の渋滞を緩和するために、案内標識が意図的に車の流れを迂回させることはあるが、釧路市の場合、国道44号がものすごく迂回しているのだ。具体的に言えば、私が走ろうとしている道ならば7・3キロですむところを、カーナビは実に10・7キロ走らせようとしているのだ。そんな国道というのも珍しいが、

私は、そのような圧力に屈することはない!

「要するに、性格がひねくれているだけじゃん。」

妻の突込みが痛いが、いいではないか。無事、次の目的地である釧路丹頂鶴自然公園へ着いたではないか。

「雨が止まなければ、意味ないじゃん。」

それは、私が悪いわけではない。我々の普段の行いが悪いだけである。

仕方がないから、車を降りて、傘をさして公園へ入る。

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 2

釧路丹頂鶴自然公園は、野生の丹頂鶴と人工孵化した丹頂鶴とをつがいで繁殖させている。現在のところ、18羽の丹頂鶴を自然に近い状態で見ることができる。

一時止んでいた雨が、また降り始めた。

携帯電話の天気サイトで雨雲レーダーを確認する。現在の雨雲の様子が一目で判るのだが、それにしても物凄い時代になったものだ。

それによると、雨雲は既に斜里から根室を結んだ線より西側は切れていて、それだけを頼りに見れば、既に雨が上がっていても不思議ではない。だが、レーダーではそうであっても、実際には雨が降っているということは多々ある。ただ、今後まとまった雨が降るということはないと言うことだけは明らかだ。

もっとも、それだけに、それでも雨が降るか!とムカつくときもある。今がそうだ。

雨のバカヤロウ!

公園の向こうに、小高い丘があり、そこへ向かって細い道が伸びている。天気がよければ、そこから眺める景色もいいんだろうなあ、と漠然と思っていた。

そのうち、その丘の方から、なんだかエンジンの唸り声が聞こえる。

わあ、なんだぁ?鶴がいる!

丹頂鶴のことではない。飛行機の尾翼の「鶴」マークだったのだ。いや、厳密には、尾翼しか見えていなかったのだが、それが飛行機以外何者でもないことぐらいは、幼稚園児だって判る。

というより、それが飛行機でなかったほうが怖い。

それはともかく、なんと、あの丘は、釧路空港の滑走路だったのか?が、普通、空港って、丘の上にあったりするものなのか?

結局のところ、ここも消化不良のまま立ち去ることになった。

次は北斗というところにある「湿原展望台」である。

この展望台は、一番観光地化しているようで、展望台の建物の中がギャラリーになっているし、外には一周約2・5キロの遊歩道もある。

が、雨はたいしたことはないものの、ここから湿原方面は完全に霧がかかってしまってみえない。思わず、

女性は子供を生む○○だぁ!

それは、湿原ではなくて、失言である。

結局のところ、展望台が霧に覆われたら、全く用をなさないという見本の中、展望台の中でビデオを見たりしながら時間をつぶす。

全く、こんなところで、ビデオなぞ見てどうなるというんだ、と思う。それなら、ビデオを買って、家で見たほうがマシじゃ。

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