北海道親子3人の旅・回想編(漫遊紀)

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だが、私には、最終兵器があった。

実は、こんなハイテクの時代だから、このような天候になることは天気予報を見ていて判っていた。今日の天気も時間が経てばある程度回復することもある程度判っていた。だから、当初はこのまま鶴居村から摩周湖方面へとまっすぐに抜けて行く予定だったのを、出発三日前になって、湿原展望台の反対側、つまり塘路湖方面へと移動して、というより、引き返すコースをとって、ぎりぎりまで釧路湿原に留まるプランへと変更したのだ。

このプラン変更のおかげで、摩周湖滞在時間は減り、さらに今日の宿泊地である網走到着も午後2時を過ぎることになった。

しかし、今やそんなことは言っていられない。しかも、出発2日前には、塘路湖近くにあるサルボ展望台ではなく、コッタロ湿原とコッタロ展望台へ行くことにしたのだ。

「私ら、一体何処へ向かっているの?」

と、妻が不安げに言う。

「私も知らん。ただ、もうこれ以上は雨脚が強くなることはないから、ぎりぎりまで釧路湿原にこだわるつもり。」

「だから、何処へ行ってるの?」

「コッタロ湿原展望台。」

「なに、それ?」

「だから、行ってから考えよう。」

久著呂という場所で右折して、いよいよコッタロ湿原方面へと向かう。久著呂とかいて「くちょろ」と読むらしい。色々なサイトを見た感じでは、コッタロ展望台まではダート区間があると書かれているが、幸い舗装された道が続いている。そして、

何が凄いというと、やっと見えたぞ!

「うわー!」

妻子も一瞬、それ以外の言葉を失った。霧が晴れたのである。見渡す限りの失言、いや、湿原。しかも、これは厳密には釧路湿原ではなく、コッタロ湿原なのだ。

「うわー!」

「すごい!」

・・・・・

・・・・・

文字の羅列しか見ていない読者の方々、大変失礼をしておりますが、しばらくご辛抱願います。

が、我々はこの世界に浸るために大枚はたいてここまでやってきたのだ。少しくらい騒がせていただいても文句はないだろう。

「勉強しただけあったで。インターネットで見ていて、これは行かないかん!とね。」

「なんか、人間が足をよー踏み入れることができなかったって感じ?」

うまい!我が妻よ!なんだか、崇高な書物みたいではないか。

しかも、車はこないし、本当に穴場というのがよく判る。メジャーな塘路湖方面からなかなか来れないらしい。というのも、あっちからは道がダートなのだ。とはいえ、我々が通ってきた道をわざわざ来る奴も少ないだろう。

「ということで、コッタロ第1展望台へ行こう。」

「何、それ?」

「そこまで行けば、本体の釧路湿原が見えるらしい。」

「行こう。行こう。」

というわけで、とっとと、コッタロ第1湿原へと向かう。まもなく展望台には着いたが、まさにこの先は道がダートである。車は三台止まっている。多分、ダートを通ってきたのだろう。

展望台までの階段を登ったところで、かずまるが腹が減ったとお菓子を食べ始める。

「ジャ○リコ、ジャ○リコ、カムカムカム・・・」

そんなもん撮影してどうする。私の撮りたいのはあっちじゃ!

ようやく目の前に釧路湿原が姿を現した。

「はーあ、すごいもんだ」

と、妻はご満悦のようだ。昨日の納沙布岬に振られ、やっと、その時がきたような感じである。

「あの道路が、真ん中に見えるやろ」

「うん。」

「道路の左側がコッタロ湿原で、右側が釧路湿原らしい。で、あの向こうに、塘路湖、あの湿原最大の湖って言ってたろ。」

「うん」

「で、あの山が多分サルボ展望台で、その手前にぽっこり出てるのが、二本松展望台じゃないかと。」

「ほーお!」

「勉強しただけあるやろ。」

と、なんとなく、聞きなれた声が聞こえる。釧路丹頂鶴自然公園で聞いた鳴き声だ。

「おる!」

妻が叫んだ。

「うん、どこかに丹頂鶴がおる!」

「え、じゃ、鶴がいるの?」

と、かずまるが無邪気にいう。

「うーん、居るのと、見えるのは、別物だからねえ。」

「じゃ、見えないの?」

「当たり前だ。」

「でね、昭和60年にあのダートの道を歩いていて、釧路川を越えたところで、通りかかった車の人が「乗って行きませんか?」とおっしゃられたんだけど、「歩くのが目的ですから」と断った、ただ、ちょうどその頃から、当時の国鉄では駅での荷物預かりがなくなってね。大荷物かついで大変になったころだったんだよ。」

「ふーん。」

まあ、過去の御託を並べても仕方はないが、何しろ私は北海道と言えば冬しか記憶がない。当然ながら、氷点下10度以下の世界との戦いだった。

「でも、釧路湿原も、もう少し見えたらいいんだけどねえ。」

「もう少し上に行く?」

と、さらに上の展望台へと行く。またまた雨が降り始めたので、傘を差しながらではあるが、幸いガスが晴れているので、霞みながらもかなり遠くまで見渡すことができるようになった。

で、かずまるはまっさきに展望台に立って、

「すげぇ!ゲホゲホ!!!」

感動しながら、蒸せるんじゃない!

「うほー、すごい!これ以上大きくたって、見えんもん!」

妻もご満悦の状況である。

「えー、くどいようだけど、これは釧路湿原じゃないんだよ、道路から向こう側が釧路湿原で、目の前にあるのはコッタロ湿原で・・・おコッタロか!」

大変失礼しました。

「でも、あれ緑の芝生に見えるねえ」

と、かずまるが言うが、確かにそうは見えるが、多分乗ったら沈んでいくだろう。

北海道に来て、ようやくまともな景色に出会えて、やっと満足しながら、塘路湖方面へとダート道を進んでいった。

途中、コッタロ川の近くで車を止めて、しばし川の流れを眺める。今朝から大雨洪水警報が発令されており、ゆっくりと、しかしあふれ出さんばかりの水量は自然のエネルギーを感じる。

「すごーい!」

と、かずまるは言うが、

「こっちを向くな!絶対に川から目を離すな!」

ただ、その一方で、ここに座椅子でも持って来たら、一日中眺めていても、多分飽きないだろうなあ、と思う。なんの変哲のない景気なのだが、我々を引きつける魅力があるということか。

さきほどの、コッタロ展望台で話題になった二本松展望台であるが、展望台までの道がダートのうえに、道がかなり冠水している。ここは諦めて、少々歩くことになるが、サルボ展望台へ行ってみることにした。

かつて、冬の釧路湿原を歩いたときに渡った釧路川の橋を通り、サルボ展望台の駐車場へ到着する。が、ここでハタと考え込んだ。確か、サルボ展望台は塘路湖のための展望台であったはずである。我々としては、ここはやはり釧路湿原が見たい。しかも、このサルボ展望台の途中からサルルン展望台への登山道が分かれているのである。

本来ならば、二本松展望台から釧路方面を見るのがベストらしい。釧路湿原の来たの端から釧路市街地方面の景色は悪漢だという。が、二本松展望台へ行けなかった以上は、少しでもそちら方面へ近づきたい。だから、サルボではなく、サルルン展望台へと登っていったのである。

で、結果は?

「あ、ワシ発見!」

かずまるはご機嫌だったらしい。

確かに、釧路湿原も見えた。が、この展望台、ひょっとしてまだ未完成ではなかったのだろうか?山を登って、いよいよ二本松展望台に近づく、といったところで、

なんで、一番肝心なところで、道が切れているの?

標高79・1メートルの頂上へ立てば、二本松展望台を見下ろしながら、釧路方面が眺められるはずなのに、あと数メートルというところで、釧路方面が山でさえぎられているのである。

うーん、これなら、少々回り道してでも、細岡展望台へと行くべきだった。

それを、後の祭りという。かずまるの場合は、祭りが好きだから、それでもいいかもしれないが・・・(んなわきゃないだろ!)

ただ、我々は、この後、摩周湖まで約1時間、さらに網走まで約2時間の移動が待っている。ここで、これ以上滞在することもできないので、一路国道391号を北上したのであった。

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車は快適に国道を北上して行った。だが、冷静に考えれば、摩周湖という言葉に惹かれることなく、ここは摩周湖をすっ飛ばしてでも、釧路湿原に固執すべきではなかったかと思う。

実際、摩周湖は「霧の摩周湖」ではなく、完全に「雲上の摩周湖」だったのである。

私は過去に2度摩周湖へ来ているが、いずれも冬だったため、霧がかかっているのを見たことがない。が、逆に当然ながら湖水というのも見たことがない。

今から考えれば、冷静に摩周湖をすっ飛ばして、サロロン展望台へ行かずに、細岡展望台へ行った方が良かったのだろうが、摩周湖というネームバリューに負けたような気がしないでもない。このあたり、さすがに大観光地の貫禄というところか。

しかも、ここの展望台の店員さんもしたたかである。

「もうすぐ霧が晴れますよ。」

と何度も繰り返している。それを間に受けた妻が

「もう少し居ない?」

というのだが、私は確信していた。

単に霧なら、残ってもいいが、雨雲レーダ見ても、はっきりと屈斜路湖から網走へと抜ける間にある藻琴山展望公園付近からこの摩周湖、さらに知床方面へと雲がかかっているのに、簡単に雲が晴れるかい!

というわけで、5時20分ころには摩周湖を後にして、一路網走へと向かう。まずは、摩周湖第三展望台から川湯温泉方面へと下るのだが、本当に北海道の制限速度は神経質である。つづり折で下っていく場合、当然ながら両端で180度のUターンが生じるのだが、そこのカーブに近づくと制限速度が40キロ、直線に入ると50キロになる。四国の山道みたいなところなら、多分全線40キロにするか、あるいは頭から制限速度がなすかのどちらかであろう。

車は川湯温泉に下って、さて、ここから網走へ行くためには、国道391号を小清水町からオホーツク海沿いに網走へ向かうか、国道243号を美幌峠経由で行くかであるが、私はその中間にある道道102号で藻琴峠経由を一路最短コースへと進むことにした。

ただ、問題は道である。北海道の場合、峠を越える場合は平気でダートだったりするのだ。行ってみて、1車線だったり、それでいてダートだったときには、目も当てられなくなる。

が、幸い、道は2車線の快適な状態のまま高度を上げていく。何よりも、思ったよりも交通量が多い。といっても、たまに車に出会う程度ではあるが。

屈斜路湖の全容が見えるようになったところで、車を止める。

「まりもっこりアナウンサーからのお知らせです。」

なんじゃい?かずまる!その「まりもっこりってのは?」

「あれ?釧路湿原でも、摩周湖でも売ってたやん。」

「まりもというからには、阿寒湖へ行くべきであって、そもそも、なんで、釧路湿原や摩周湖で売ってるねん?」

「それが観光というものや。」

大変失礼しました。

「それより、なんでここでとめるの?」

「いや、藻琴山展望台まで行ってしまったら、雲の中に入りそうだったから。」

「きれいねえ、さて、クッシーはいるのかしら?」

「クッシーおるん?」

こらこら、かずまる、真面目に考えるな!

「うーん、一応おることにはなっとるんやけど。」

本家本元ネス湖のネッシーの正体が明らかになった後も、クッシーが偽者であるという話は聞かない。というより、クッシーそのものの話を全く聞かなくなったような気がするのはなぜ?

「そしたら、行きますか?」

で、当の藻琴山展望台へ行きました。

「霧の摩周湖じゃなかった、霧の屈斜路湖!」

なんにも見えん。先を急ごう。

車は、霧の峠を越えていく。峠を越えたところで、思ったとおり霧が晴れてきた。前方にオホーツク海が見えてきた。ここから、網走までは途中から何度となく右左折を繰り返していくことになるため、綿密に国土地理院2万5000分の1の地図で勉強してきた。その間、構○○牧場とか、○○神社とかの記載があり、集落らしきものもあったりして、市街地のようなところを走るのかと思っていたら、なんてことはない。

本当に、周囲は牧草地だけ。

この辺りは、芝桜街道と言われているが、季節が外れたらただの道。そのうち、芝桜公園の駐車場が見えてきたので、そこへ駐車する。といっても、あたりには、本当になんにもない。国土地理院2万5000分の1の地図に描かれている道路の交差点なんて、一体何だろうと思えるくらい、我々が走ってきた道以外は何もないのである。

なだらかな丘陵地帯の向こうに見えるオホーツク海があるだけ。

「こちら、まりもアナウンサーです。」

「あの黄色い畑は何ですか?」

「麦畑だと思います。緑のじゅうたんと黄色いじゅうたんがあります。白い花が咲いています。この白い花はジャガイモ畑であります。以上、まりもアナウンサーでした。」

実際、このあたりがもう少し、富良野のようなカラーリングされていたら・・・と思わないでもないが、モノトーンの世界では、ここを見て、富良野に行った気分にはなれなかったのかもしれない。

そこから網走までは、前述のとおり、何度も右左折を繰り返すのだが、不思議なことに、カーナビの示す道は、私が勉強した道をそのまま示しているのだ。

「珍しく、カーナビのとおり走ってるやん。」

「私が素直なのではない。私が勉強したルートとカーナビが評価してくれているだけだい!」

そうして、午後6時50分頃、網走市の天都山展望台へと到着したのであった。ここの展望台は、てっきり適当に登れるものと思っていたのだが、すでに鎖がかかっていて、中へ入ることができない。

「6時閉館かぁ、惜しくもなんともないやんか!」

実際そのとおりである。摩周湖での滞在時間がそのまま網走到着延着となったのであって、まあ、まだ明るいだけマシなのかもしれない。仕方がないから、そのまま網走刑務所方面へと下って、今日の宿へと向かうことにする。

「えっ、網走刑務所の前通るの?」

と、妻は機嫌が良い。学生時代に行ったときは、ここだけはあまりに有名すぎて、なぜか行かなかったのだそうだ。ちなみに、網走観光ツアーの観光バスで行ったことがある。私に観光バスというのも似合わないかもしれないが、冬の場合は、自力で行けないところに案外観光バスが行ったりするから、結構重宝したものだ。

ところが、天都山を下ったところで、バイパスに入ってしまって、そのまま網走市街地へ流されてしまった。

「こりゃ!網走刑務所が近づかんやんか!」

「そんなこと言ったっても、戻る道がないやい!」

「えーい、戻れ!」

と妻の絶叫の中、バイパスの流れに乗ってしまった我々はそのまま網走市街地へと入ってしまったのであった。

めざす今日の宿は、実はビジネスホテルなのである。そうして、夕食は外でとる。ホテル自身は、まあ可もなく不可もなくなのだが、確かに、わざわざここまで来て泊まる宿にしては地味すぎるのかもしれない。

その網走で、私が行こうとした場所は、往路航空機の都合で、「キリンビール園」へいけなかったのは前述のとおりであるが、その代わりとして、「網走ビール館」へ行こうと思ったところなのだ。

この店は、ガイドブックによると、「香り豊かなヴァイツェンやアルトなど、藻琴山の雪解け水と地元大麦や小麦を使った地ビールが楽しめる。」とある。これは行かなければならない。

が、その店の場所を聞こうと、フロントロビーにて、

「実は、その店は閉めてしまいまして・・・」

ホテルの管理人が申し訳なさそうに言う。

「へっ?」

「その店は焼肉屋になりまして、多分今日開店だったと思います。」

うーん、網走まできて、焼肉屋に行ってもなあ。

だが、さらに、そんな我々に追い討ちがかけられる。なんと、今日は日曜日だったのだ。ホテルでもらった市街地マップを見ると、日曜日の網走の夜は閉まっている店がやたらと多い。

が、ともかく、宿を出る。そして、まずは最初に行く予定だった焼肉屋に行ってみたのだが、予想どおりの人の列。1時間半待ちなのだそうだ。

えーい!1時間半後には店を出ていたいわい!

止むをえず、店を出て、街中へと向かう。ところが、この網走という街、網走駅と街の中心部とが結構離れている。今日開いていると思われるある1軒の店をめざして、ただひたすら歩いて行った。

目的地の店は、ビルの2階へと上がっていくのだが、外見は普通の居酒屋さん。でも、とにかく今日のところはこちらが選択できる余地はない。そのまま入る。

「何にいたしますか?」

「ホッケとししゃも!」

あと何を注文したか、全く忘れてしまった。

「今日は北海道のものを食べるぞ!」

「おーっ!」

ともかく、いわゆるチンチン料理ではなかったのが良かった。なんだか、余分に注文してしまったのだが、全て食べてしまったのであった。

さて、外に食べに出た以上は、宿へと戻らなければならない。帰りは、ずぼらにもタクシーで網走駅まで運んでもらい、駅隣のコンビニで夜食を買う。

実は、この段階で、妻は先にホテルへ帰り、私とかずまるは網走駅へ行って見る話があったのだ。ここで、もし網走駅へ行っていれば、あるいは、明日の展開が変わっていたかもしれないということも知らず、結局今日の運転の疲れもあって、そのまま3人で帰ってしまったのであった。

これが、いわゆる第一章3、四つ目のミスなのであった。

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