北海道親子3人の旅・回想編(漫遊紀)

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第四章 四日目 網走から知床半島へ

北海道へ来て、初めて晴れた朝を迎えた。ここまで、異常低温というより、我々の認識不足であろうが、ともかく想像以上に寒かったため、かずまるの肌着とTシャツを重ね着させていたから、そろそろ洗濯しなければならなくなった。

朝から、えっちらおっちらとホテルで洗濯をして、朝食をとっていると、ちょうど天気予報をしていた。全国版のニュースだったが、

「今日は全国的によい天気でしょう。ただ、北海道北見地方だけは、午後から雷雨となるでしょう。」

今日雨が降るのは、全国でここだけかい。

まあ、我々は今夜には知床半島にいるから、北見からは離れているだろう。

というわけで、先ほどの洗濯物をイプさまの後部座席に並べて乾かせながら、網走を後にする。

今日の予定は知床ウトロで、午後四時ころから遊覧船に乗るので、それまでに行けば良い。今のところ、浜小清水と斜里の原生花園に寄りながら向かうことになっている。

で、いきなり、北浜駅に寄る。

この北浜駅というのは、キャッチフレーズがオホーツク海に最も近い駅である。

予讃線下灘駅が海側に道路を埋め立てた関係で、日本で最も海に近い駅の座から転落し(未だに下灘駅が海に一番近いという看板は外していないが、見れば明らかである。)、「海」という概念だけなら、鶴見線海芝浦駅である。だが、海芝浦の場合は、廻りは運河で、海には見えない。「日本海に最も近い駅」信越本線青海川駅か、この駅かというところか?私には、少なくとも、下灘駅よりは、北浜駅の方が海に近いと思う。

ちなみに、北浜駅はこの駅へやって来た人々の名刺や切符が貼られていることでも有名である。私も昭和六三年二月に来たときに名刺を貼ったのだが、さすがに見当たらなかった。また、国鉄時代の冬場は待合室には暖房が効いていたのが、末期の六三年には釧網本線のこのあたりの駅は暖房が切られ、代わりに隣に喫茶店ができるというパターンが確立していた。だから、携帯用魔法瓶にスティック式のインスタント珈琲を持ち歩いたものであった。

今回この駅に立ち寄ったときは、駅の隣に展望台ができていた。そこに登って、しばしオホーツク海や知床連山を眺める。

「それにしても、見えませんなあ。」

なんとなく、靄がかかっているようで、なかなか知床の山々は見えない。その中で、ようやくうっすらと見える山がある。展望台にある地図を見ながら、私が思わず、

「斜里岳かぁ!あの山は!」

「で、なんでここ来たの?」

「来た理由はな。一昨年にここに来たS君と、話題を共有しようと思って来ただけ。昔、ファミコンゲームで「オホーツクに○ゆ」というのがあってな。ここに目つきの悪い駅員がいたという設定があるのよ。」

S君というのは、私の職場の同期であり、家も近所であり、妻同士も知り合いであり、なんといっても、子供さんがかずまるが通っている空手の先輩である。そういう家族ぐるみの付き合いがあるのだが、旦那が双方ともそういう放浪癖があるため、奥さん同士の結束(私の妻が一方的にそう思っているだけかも知れないが)が強いようでもある。

列車が北浜駅に到着して、一人の旅行者らしい若者を降ろして、去っていく。

「でも、S君の奥さんも子供も、ここに付き合わされて・・・」

「そそそそ・・・・」

「気の毒やね。」

「そそそそ・・・・本当に意味もなく来たらしいよ。私も人のことは言えんけど。」

呆れながらも、妻子はしばしここの展望台で風に吹かれている。

「原生花園に行く?」

「行く。」

「それにしても、小汚い若者旅行者がおらんなあ。夏だというのに。月曜日だからかなあ。」

と思ったが、よくよく考えてみれば、

彼等に月曜日は関係ないやん!

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原生花園といえば、どうしてもJR北浜〜浜小清水間にあるのが浮かぶ。今まで、名前は知っていても、いかんせん冬場は駅そのものが存在しないから、そこへ行くのは始めてである。

インターネットで調べても、一番俗世間化しているとされているが、まあ、観光気分でいくのも良かろう。

「インフォメーションハナ」という建物の前にある駐車場に車を止めて、まずはトウフツ湖を眺めながら、ようやく晴れたなあ、と思う。一方のオホーツク海は、海岸砂丘が高くてここからは見えない。

が、かずまるは、だらだらと座り込んでいる。

というより、車止めをまくらがわりにして寝るなあ!

と、思っていたのだが、そのうち、あることに気づいた。

要するに、暑いのである。一昨日は最高気温13度の世界に居た。それが、今は多分25度はあると思われる。かずまるは一昨日以来、半そでシャツを重ね着して、さらに長袖を着させていたのだ。

思い切って、夏の格好をさせたら、なんてことはない。かずまるはあっさりと回復した。

なんだ、単なる夏バテか?

なんにしても良かった。ここで、バテられてたまるかい。

さあ、いよいよ原生花園というところで、この「インフォメーションハナ」という建物には小規模の博物館があって、妻がそこに入ろうという。

私としては、先に現物が見たいのだが。

「でも、知識を得なきゃ」

うーん。

ここは、妻の意見に従ったのだが、それにしても、長いこと。

あのぉ、なにも、そうとっぷりと写真眺めてないで、現物を見たほうが・・・

「お腹すいた。」

やい、かずまる!そう来たか?

次に、アイスクリームだのジャガイモだの買って、食べて、既に一時間。ダメだ、こりゃ。

そして、ようやく建物を出て、原生花園へと向かう。原生花園駅は5月から10までの間しか営業していない駅で、さきほどの建物の隣の道から線路を渡ったところにある。駅のホームへ行くには、踏切を渡らなければならないが、よく見ると、遮断機はなく、踏切のところに駅員が配備されている。

ちょうど列車がやってきた。列車は3727D快速「しれとこ」のキハ54であった。あの釧路から根室まで乗車した快速「はなさき」と同じである。列車は我々の前を通り過ぎて、原生花園駅のホームに停車し、そのまま静かに走り去って行った。

うーん、いいシチュエーションだ。

だが、肝心の原生花園というと、どうも花がイマイチである。原生花園駅舎の前にオレンジカードを置いてあり、それを見ていると駅員さんが、

「今年は寒かったですからね。原生花園も遅れ気味なのですよ。」

「そうですよね。ガイドブックでは通常7月下旬がピークと書いてますよね。」

そういえば、2年前の8月上旬に来たS君は、そのホームページで「原生花園の盛りは完全に過ぎており・・・」と書いている。今年はよっぽど開花が遅いのだろう。

「じゃー、仕方がないから、オレンジカードでも買う?」

どういう関係があるか理解に苦しむが、妻が買おうというから、買ってみようか。

現在松山から宇和島まで、歩行距離で約120キロを親子で15回に分けて歩いている。私は特急列車に乗車できる定期券「快てーき」を持っているからタダなのだが、かずまるが利用する場合に、どうせ必要とされるだろう。

で、そのオレンジカードを物色していると、その中に、黄色いバスのような車両が映っている。

「おおっ、これはデュアルモードビーグル(DMV)ではないか!」

「デュアルモードなんとかって何?」

「線路でも走れるし、道路でも走れる車両のこと。」

と、かずまるに教えていると、駅員さんが声をかけてきた。

「今、隣の浜小清水に停車してますよ。」

「へっ?」

「試運転してるんです。」

「おおっ、それは行かねば。ここを出たら、次に行こう。」

とは言うものの、ともかく貧弱ではあるが、原生花園の散策ルートを歩いて、海岸へ出る。

海は海。瀬戸内海に暮らす我々は、どこかに島影があるものだ。オホーツク海にはそのようなものはない。何処までも海が広がっている。だが、我々は瀬戸内海側に住んではいるのだが、その気になれば太平洋にも行くことはできる。

だから、単に「島影がない」だけでは感動することはないのだ。

そのあたりが、「感動」という言葉とのギャップのような気がしてならない。例えば、長野県に住んでいるものならば、いきなりこのような光景を目の当たりにすれば感動するだろう。また、横浜ベイブリッジを見ても、瀬戸大橋に見慣れている我々のような海洋民族からすれば、あんまり感動はしない。だから、感動する、しない、は個人的な主観であって、それを観光ガイドブックのせいにするつもりはないし、それに頼る旅行者に問題があると思う。ただ、勉強してきたものの、当てが外れると、それを理由にしてみたいという気がするのも、また事実なのである。

もっとも、私にとっては、青いオホーツク海を見るのも初めてではある。

流氷の季節なのに、30数年ぶりに接岸しなかったときにやって来たなどということもあったが、その場合でも海には氷片が浮かんでいた。だから、普通の青いオホーツク海を見るのは初めてなのだ。

そこまで、我々がこだわるもの、実はここは「日本最北の鳴り砂浜」なのである。にもかかわらず、全然鳴ってくれないのである。少々落胆しながらも、だらだらと周回道路を回って原生花園駅に戻ってきた。

では、浜小清水駅へ行こうか。

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