北海道親子3人の旅・回想編(漫遊紀)

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この浜小清水駅は、斜里郡小清水町にあるから「はま・こしみず」なのだが、「はまこ・しみず」と読んだほうが、なんとなくのんびりして聞こえる。道の駅「はなやか小清水」に車を止めて、浜小清水駅に入る。

おおっ!あれはDMV(デャアルモードビーグル)ではないか!

確かにそうであるのだが、そこで我々は、第二章3にある第四の失敗に気づいたのである。このDMVに乗ることができたのである。JR北海道のホームページは結構見たのに、このことに全く気づかなかった。今となっては多分無理だったのだろうが、せめて、昨日網走駅横のコンビニに行った後、網走駅に行っていれば、ひょっとすると展開が変わっていたかもしれなかったのだ。

が、まあ、仕方あるまい。せめて、DMVの写真だけでも撮っておこうか。

かずまると妻がDMVに近寄って、眺めている。今は、自動車のタイヤの状態で駅の近くに停車している。

「これで、どうやって線路を走るの?」

「車の下に、鉄道用の車輪を内蔵してるんだよ。」

かずまるは、下に潜り込まんとする格好で、車輪を探していた。

「あ、あった!」

「線路を走るときは、これが下がってくるわけね。」

そのとおりであり、私もそう思っていたのだが、JR北海道のサイトを見ると、少々概念が違っている。

線路を走るときに、車輪が下がってくるのは事実なのだが、そのときの起動輪は、なんと道路用タイヤ、正式には後部タイヤなのだそうだ。だから、線路用車輪は「ガイド輪」というらしい。

それにしても、ゴムタイヤが線路を駆動しているというのを想像するのも、なんだか不思議な気がする。

ただ、実際に始めて北海道の道を走ってみて思ったことであるが、実際北海道の道は渋滞がない。だから、街の中心部からは線路を走って、線路がないところをバスとして走るという発想はすばらしいとは思うが、それなら最初からバスでいいのではないか?という気がしないでもない。

実際、DMVの最大の問題として、列車として走る場合の定員の少なさと、トイレがないことがあげられている。先に述べたとおり、北海道では、冬場雪に閉じ込められたことを想定して、全列車にトイレが設置されている。

個人的には、北海道で開発されたものの、本州などの方が遥かに需要があるような気がしてならない。

例えば、災害で鉄路が寸断された九州の高千穂線などがそうだ。残された鉄路をDMVで走るというのはいかがだろうかと思う。

が、と言うのは後の話で、そのときは、ただ、

しまったぁぁぁ!

としか考えられなかった。ここまで来て、失敗するかぁ?が、失敗したものは仕方がない。DMVの写真を撮って、ついでに時刻表が書かれた看板を撮影して、先を急ぐことにする。

が、実は先ほどから、浜小清水駅に張られているポスターが気になっている。小清水町の中心部は、浜小清水駅のかなり南にある。そのあたりに、「リリーパーク」という、まさに「ユリ」の公園があるらしい。原生花園がイマイチだっただけに、このポスターは、極端な話、誇大広告ではないかと思われるほど、あまりにも鮮烈なイメージを持つ。というわけで、私は無視を決めていたのだが、

「ねえ、あの「リリーパーク」に行ってもいい?」

うわあ、やっぱり来たか?

「でも、何処にあるのか判らないんだけど。」

あくまで無視を続ける私に対して、

「カーナビで出てこない?」

「うーん、よく判らん。」

とは誤魔化してみたものの、実際にはポスターの地図を見ただけで、私の悲しい特技というか、性格というか、大体想像はついてしまう。ここは諦めて、素直に行くことにする。

めざすリリーパークは、小清水町のまさに中心部にあった。こういうところが北海道の凄いところである。我が四国では、まずこんなところへこんな公園ができたりはしない。絶対市街地の郊外にできるはずだ。スーパーマーケットや娯楽施設までがそうなっている。その方が駐車場が確保しやすいからだ。だから、逆に中心部が空洞化し、閉店になったスーパーの跡地にマンションが建ったりして、なんだか逆の現象が起こっているのである。

それはそれでいいのだが、やっぱり、満開になるにはもう少し時間がかかりそうだ。ここの人も、最近の異常低温が原因だという。相手が自然だからどうにもならないが、絶対的時期にやってきて、昨日までの気象状況といい、ここまで期待を裏切られると、あんまりいい気はしないものだ。

それでも、園内をいろいろとうろついて、いよいよ知床半島へと向かう。

が、その前に一箇所行きたいところがある。それが、以久科原生花園である。北浜〜浜小清水間の原生花園と比べると、人の手が入っていないということで、「とらべるまんの北海道」でも絶対的なお墨付きがある。今まで走り回った結果、開花が遅れていることは既に承知なのだが、じゃー、本当の自然とはどういうものなのかを教えてもらおうではないか、という最終手段だったのだ。

【追憶コラム】

実は、ここまで来た以上は、もう一箇所行きたいところがあった。それは、かつて斜里から根室標津までを結ぼうとしていた、旧根北線の越川付近の遺構である。

国道二四四号越川橋を過ぎたところにある巨大なアーチ橋がお目当てである。が、そこまでは、国道から外れること約13キロ、往復で1時間近くのロスになる。

この越川橋のことは、最後まで妻子には告げてはなく、時間があったら行こうと思っていた程度であった。それが、当初かずまるが「エゾシカ牧場」へ行くと言っていたのと、案外かずまるは廃線跡に興味がないこと、さらにリリーパークに行った段階で、この後以久科原生花園へ行くことを考えると、越川の件は諦めることにしたのである。

が、実際には、リリーパークから以久科原生花園へ行く道路が、国道244号ではなく、1本南にある国道33四号を通ったことから、「エゾシカ牧場」を無視してしまった。しかも、無視したことすら忘れており、というより、そもそも「エゾシカ牧場」がどんなところかも最後まで判らなかった。そして、極めつけは、今日の宿泊地ウトロで夕方の観光船に乗る予定だったのだが、予定よりも早く着きすぎて、1時間以上も時間を持て余してしまったのであった。

というわけで、結果論としては、旧根北線越川の巨大アーチ橋遺構へは行くべきだったことになる。が、

自己満足はいかん。

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当初の予定では、旅行中の昼食の場所も明確に検討していた。が、実際に行ってみると、天気は悪いわ、プランは適当に変更されるわ、なんと言っても、途中の観光地で何かを食べてしまうわで、まともに昼食を摂ったのは、納沙布岬だけだったような気がする。しかも、あれは昼食とはいえない時刻に食べたような気がする。

そんなわけで、斜里付近の国道244号には結構気になる店があったのだが、すべて無視することになった。もっとも、実際には国道334号を通ったからではある。

それでは、理由になってないではないか?

いいのだ!昨日だって、釧路手前のコンビニに入ったことだし。我々は、斜里の町を迂回するように、目的地以久科原生花園と向かった。

それにしても、道がまっすぐだ。無理に曲げる必要がないからまっすぐなのであるが、遥か知床連山の麓まで続く道を、ハンドルをきることなくスムーズに走っていく。

かつて、別海町で住宅地図のようなパンフレットを見たことがあるのだが、そのときの印象は、「結構、集落があるじゃないか」だった。が、その後、縮尺を良く見てびっくりした。碁盤の目のように整備された土地の交差点に、それぞれ四軒の家があって、そこから2つ離れた交差点にまた四軒の家がある。が、その交差点間の距離がなんと2キロもあるのである。つまり、隣の家まで4キロ!このように、北海道の地図を見ていると縮尺の概念が鈍ってしまうのである。

そういえば、ここまで来て思ったことであるが、北海道を始めて運転して、当初の噂のように、後続車両に煽られたことがない。目を覆いたくなるような暴走車両も見ていない。結構みんな常識的な走りをしているのだ。などと、感心しても仕方ないのではあるが、以久科原生花園へと向かう。

その以久科原生花園であるが、何台かが駐車できるほどのスペースがあるものの、今までの原生花園と違って、人の臭いが全くしない。まさに、原生花園の真髄へと入ってきたのであった。

ただ、如何せん、開花が遅く、仕方ないとはいえ、それほどの感動はなく、妻もかずまるもそのあたりをうろうろしていただけである。

「人の手が入っていないというのもね良し悪しやね。」

ふと、妻がつぶやいた。

「???」

この言葉は、多分学生時代の私だったら、猛反発することだろう。だが、今の私には、この言葉は、ズキリと脳裏に響いた。

学生時代は、人の手の入ってないところを探して出かけていくことに、ある意味全てを掛けていたような気がする。そして、そんな場所があることに満足していたのだ。意味もなく猿払原野を歩いた、釧根原野も歩いた、そして、私が最も心惹かれた根室半島もあちこちを歩いたことが蘇る。

そもそも学生時代に、いわゆる「北海道病」にかかったのは、最初の昭和58年の行軍があまりにずさんだったことに他ならない。だから、「次こそは・・・」から始まったということは容易に判る。

昭和62年冬の社会人2年目、すでに限られた時間でしか旅をすることができなくなった。その中で、過去の記憶をおさらいするかのように、ただ通り過ぎるだけの行程に失敗した。翌63年冬、道東に絞って、自分なりに満足した旅があった。納沙布岬からの帰りのバスで、「もう終わりかな?」とただ乾いた感想があった。

そして、19年の沈黙に入った。そして、今再びこの場所に帰ってきた感想は、妻の一言で目覚めたような気がする。私はそこに住んでいるわけではない。社会人として、そこに理想を求めるのは、あくまで自分の精神的支えとなるのならばそれでよい。だが、それを公言してはならない、と思っていた。

だが、現実はいずれ目覚める。たかが4泊5日の仮想世界の中で、そんな高尚な夢を見ることはできない。それならば、プライドを捨て、素直になるべきではないか。大観光地も結構!その中にとっぷりと埋没する。19年の沈黙に対して「帰ってきた」と思う。それでいいのではないか。そう思ったとき、私は気が楽になったような気がする。

車は快適に知床半島を走る。気が楽になった私を待つものは、これぞ大観光地と言わんばかりの知床ウトロである。

途中でオシンコシンの滝で休憩する。かつてバスで移動していたとき、運転士が「あれがオジロワシですよ。」としばらくバスを停車させてくれたことがある場所でもある。

滝そのものは、たいしたことはないのだが、ちょうど、ここには知床の情報板がある。

ふむふむ、「カムイワッカ方面は工事中で全面通行止め、カムイワッカ方面はシャトルバスに乗換え」、

いいねぇ、このシャトルバスに乗換えという考え方が・・・スイスを全面的に見習えと言っても無理かもしれないが、自然の中に入るために車を制限するという考え方はもっと普及すべきだと思う。もっとも、ここまで車至上主義となってしまった以上、ここでそんな考え方をしたところで、結局潰されてしまっているのが現状なのだろうが・・・で、

げげっ!「知床五湖、ヒグマ出没で一時閉鎖中?」

かずまるがそれを見て、震え上がる。

「ヒグマ、怖い!」

「そういう問題じゃない。明日は大丈夫かなあ。」

そんなものは、今こことで悩んでも仕方がない。

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