愛 媛 の 散 策

 

城 下 コ ー ス

 
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城 下 コ ー ス (2回目)

(行った順に掲載しています。撮影日は特に記載がなければ2003.10.19撮影)

六角堂(番外)。手に持ったドクロで人をたぶらかすイタズラ狸の伝説がある。

17番:夕桜城の石崖裾濃なる(中村草田男)松山市東雲町(東雲公園)
東雲公園でしばし居座ってしまった。

18番:高浜虚子住居跡松山市一番町1丁目
前回帰宅へ帰るバス停の裏にあった場所

 

城 下 コ ー ス (1回目)

(行った順に掲載しています。撮影日は特に記載がなければ2003.10.13撮影)

24番:涼しさや西へと誘ふ水の音(内海淡節)松山市柳井町1丁目
伊予鉄道石手川公園駅を下車して最初の碑。ただし交通量が多い。

伊予鉄道「煉瓦橋」(松山市駅〜石手川公園間)
平成15年9月1日に松山市から「景観形成重要建設物」に指定された。
「俳句の里巡り」とは直接関係ないが、我々には大いに関係あるところ。

29番:寺清水西瓜も見えす秋老いぬ・我見しより久しきひょんの茂(正岡子規)
松山市泉町
薬師寺
寺はあっても、なかなか入口が見つからない。寺内は病院職員の駐車場となっていた。

30番:こゝろざし富貴にあらず老の春(柳原極堂)松山市末広町興聖寺
薬師寺からここまでの間の踏み切りでかずまるがなかなか動かなかった。

31番:梅てのむ茶屋も有へし死出の山(大高子葉)松山市末広町興聖寺
大高源五
赤穂義士として32歳でなくなったんですねぇ、
などといっていると、まあ、自分達は幸せなんだなあとも思えてくる。

32番:正岡氏累代墓、松山市末広町・正宗寺
さすがは正宗寺で、ここに5つある。

33番:子規居士髪塔、松山市末広町・正宗寺

34番:笹啼(ささなき)が初音になりし頃のこと(高浜虚子)松山市末広町・正宗寺

35番:打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする
今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな(正岡子規)
松山市末広町・正宗寺(2001.12.08撮影)
ご存知、旧ハ1客車が保存されている場所

36番:朝寒やたのもとひゞく内玄関(正岡子規)松山市末広町・正宗寺
このあたりから雨が降り始め、37番を諦め、雨をしのげる松山市駅前39番へ変更する。

39番:城山の浮み上るや青嵐(正岡子規)松山市湊町5丁目松山市駅前緑地帯
当然この後、坊っちゃん列車の到着を待つ。

坊っちゃん列車1号機と余命わずかと噂される1001号機
1号機乗務員は「紳士松井」「元気君」「T車掌」「S3車掌」
よく考えてみると、51号機誕生時には坊っちゃん列車旧機関車は現役で走っていた。
このまま雨がやまなければ中断するつもりだったが、小雨になって続行。

38番:風呂吹を喰ひに浮世へ百年目、
冬さひぬ蔵沢の竹明月の書(正岡子規)松山市湊町4丁目
円光寺
銀天街から入ることができる。

37番:粟の穂のこゝを叩くなこの墓を(正岡子規)松山市柳井町3丁目法龍寺
寺の中に幼稚園がある。

28番:正岡子規母堂令妹邸跡、松山市湊町4丁目中の川筋緑地帯
邸跡というのは解るが、片側3車線の中央分離帯にある理由が解らない。
まじめに読むには命がけとなる。まじめに読ませる意思がないのか?
まじめに読もうなどと考える者がいないと思っているのか?
26〜28番に関しては松山市教育委員会の意図が解らない。

27番:くれなゐの梅散るなへに故郷につくしつみにし春し思ほゆ(正岡子規)
松山市湊町3丁目中の川筋緑地帯
正岡子規生い立ちの家跡とかいうが、ここしか作れなかったのか?
まあ、ここの場合は横断歩道もあるし、緑地帯も広いので、まあ許せる。

26番:我ひとりのこして行きぬ秋の風(野間叟柳)松山市湊町3丁目中の川筋緑地帯
ここの場所も危なかった。

25番:浦屋雲林邸跡、松山市柳井町2丁目
地図を見ただけでは、なかなか行き着けない。ひたすらNTT社宅をめざす。
そういう由緒ある所だからNTTの社宅があるのだろうな。
なお、地図を見れば判るが、最初に行っておけば・・・というところ。

22番:囀や天地金泥に塗りつぶし(野村喜舟)松山市北立花町石手川公園
午後1時30分、ようやく遅い昼食となった。

23番:薫風や大文字を吹く神の杜(正岡子規)松山市北立花町井手神社
かずまるが昼食後、石手川公園で遊んでいる間に行ってきた場所
ここも、先に25番に行っていれば、26番の次に来れたところ

20番:新立や橋の下より今日の月(正岡子規)松山市新立町金刀比羅神社
石手川沿いにずっと上ってやってきた。、回のコースで最も南東に位置する場所。
妻から石手川の対面に碑と立札があるといわれたが、今回は無視していたら、
城南コースの2件であった。

21番:馬をさへなかむるゆきのあしたかな(松尾芭蕉)松山市新立町多賀神社
神社というより、幼稚園の中。「不用者立入禁止」とあって川から入れないが、
本堂からははいれる。以前住んでいたアパートの上の子供(かずまると同年)は
現在ここに通っているが、それにしても「神社」という造りの幼稚園である。

19番:正風の三尊みたり梅の宿(小林一茶)松山市勝山町1丁目(緑地帯)
中の川に比べると車線こそ少ないが、最も危険な場所と思われる。
第一、こんなところに小林一茶の碑を建てなければならない必要性は?

と、だんだんと愚痴に変わってきたが、今日はここで終了
最後に坊っちゃん列車を見送って、一番町1バス停から帰路に
しかーし!!バス停の後ろ近くに18番があることを忘れていた!!

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