俳 句 の 世 界

 

松山句碑めぐり

 

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第11話 城南方面 (2005.08.20)

 
いよいよかずくん倶楽部の単独自転車特攻隊がサイクリングといえる距離に挑戦しました。

天山のわれて落ちぬるおもかげや今も雲井に残る三ケ月伊予二名集より(盛全)天山町天山神社

10時20分頃に家を出て、JR松山駅前で坊っちゃん列車を見たりしたものの、ここまでですでに1時間。少々前途が心配なときではありました。

神獣鏡幻想 天山の四季筑紫から鏡を載せた舟が着く春の天山小野川の岸相聞の歌垣のあと天山の天王が森夏草の原さにわな天山の斉庭に山菜川の魚を並べ賑わう新嘗の日太占の鹿の骨やく忌火鑽り鏡を埋めし雪の天山(篠崎勝)天山町天山神社

土井中照氏によると、加藤嘉明が松山城を建築するときには、第1希望としてこの天山、第2希望として勝山(現在の松山城)として、第2希望となったとか。実際に幕府は第1希望とした例がないとかで、加藤嘉明の思惑は・・・?

奮然蹶起唱勤皇堅守孤城意気剛来訪当年争戦跡表中碑畔立斜陽(小原六六庵)星岡町星乃岡荘

道後温泉が有名な松山ですが、それ以外にも温泉は数多くあります。この星岡温泉で、松山市内では珍しく湯治場の雰囲気があります。ここは、競輪場関係の保養所で、競輪選手のための保養施設と思われます。

風雪の碑、星岡町雲門寺近く

愛媛の革新の碑となっています。

青森のりんごを売れる椿市(饒秋)星岡町雲門寺墓地

ここまでが天山一帯。ここから南下して、森松方面へ行くわけですが、その途中に義姉宅、つまりかずまるの自転車の元の持主があります。ちょうど昼食時でもあって、失礼ながら昼食をいただいて(見返りとしてパソコン補修をしました。)、1時間半ほど休んでいたら、雨が降り出しました。

月従いて汽車ふるさとへ古里へ(河本善耕子)土居町萬福寺

義姉宅を13時30分頃出て、5分もしないうちに雨が降り始めて、八幡若宮社で30分近く雨宿り、雨が小降りになったところで、次の萬福寺も雨宿りができるだろうと思って強行。すると、直後にかずまるが転倒して、服を着替えることになりました。

塹壕乃中与り蝶の翔ち尓計里(岡田広稔)土居町萬福寺

黄昏るゝ院に人なし白桔梗(柏紅葉)土居町萬福寺

萬福寺を出るときには、雨は完全に上がっていたのですが、出るとまたまた雨が降り始めました。仕方なく、今度は松山自動車道高架下で雨宿り。

御佛の慈悲にすがりてあたゝかし(小原うめ女)森松町793-7地蔵堂

14時30分近くになって、ようやく雨の心配がなくなりました。

葉桜の影より人の来る氣配(重松磯月)森松町浮穴公民館森松分館

このあたりが自宅から最遠点。時刻は14時30分、義姉宅を出てすでに1時間が経過している。

重信川河川敷にて・・・この向こうに総合運動公園が見えます。かずまる曰く「今度は動物園に行きたい」行けないことはないが、動物園ではしゃいだ後に帰れるのか?

望郷山河に霧たちのぼり鳥の鳴くゆ免ながらよし古里のさま(三好綱一)森松町重信橋西堤防

草むらや土手ある限り曼珠沙華(正岡子規)森松町浮穴公民館

ここからいよいよ、自宅に近づくことになるのですが、なんと、サンパークが休園になって入れない。数年前から盆の花火がなくなっていたが、そういうことだったのか。園内の2碑は絶望的。

法衣帆の如く孕みて春の風し(山田潜龍)井門町昌福寺

成佛をしかと見届く牡丹可奈(橘華子)井門町昌福寺

南無大師み像仰げば堂前のいちょうの大樹芽ぶきそめたり(中川実温)東石井町本覚寺

この後伊予豆比古命神社で休むことになっているため、一度南下する。が、東石井町椿石材センターが影も形もない。仕方なく通過して、伊予豆比古命神社で休む。

草茂みベースボールの道白し(正岡子規)市坪西町坊ちゃんスタジアム横

後は一路自宅を目指すだけではあったのだが、数100mほど逸れればここへ来れるので、足を伸ばしました。が、突如として猛烈な風雨にあいました。

これが風雨の模様。市坪駅に、夏の間だけ停車する特急が入った来たのですが、ほとんど見えませんでした。その間、ここのミュージアムで三度雨宿り。雨がやんだのは16時30分。ミュージアムの閉館に間に合ってよかった。

荒れにけり茅針まじりの市の坪(正岡子規)市坪北一丁目市坪集会所

あとは、ひたすら帰るだけだったのですが、石手川を越えたところで再び雨が強くなりました。仕方なく、店を閉めていた軒先で雨宿り。小降りになったところで、無理に北上して、国道56号とJR予讃線高架橋下の公園で雨宿り。ここでかずまるはしばし遊具で休憩。ただ、時刻は17時を過ぎてきました。ここから松山西環状線沿いに帰れば、高架橋の連続です。雨脚が強くなればそこへ逃げ込んで・・・というわけで、小降りになったところで移動開始。

ところが、なんと「和泉北二丁目もみの木亭」が影も形もなくなって、パチンコ店になっている。碑も跡形もなくなっている。パチンコ店に松山の文化を求めるのが誤っているのだろうが。あまりにもひどすぎる。まあ、どこかに移設されたと思おう。

男の劇場一、正しい者が勝たいでなるかそれがこの世の真理じゃないか忍の一字に望みをかけてじっと出を待つ来島瀬戸の渦も知ってる男のロマン二、できないがまんするのががまん怨みつらみの百万言は腹に収めてにっこり笑うがまん男のがまんの前に壁は崩れる氷もとける三、自分のみなりにかまっちゃおれぬあとはたのむぞ可愛い女房俺は大将まっ先かけて浴びる火の粉に身はただれてもいかにゃなるまい勝たねばならぬ(星野哲郎)土居田町愛媛県更生保護会雄郡寮

実際の碑はこの写真の右端である。坪内壽夫氏といえば、造船を代表とする、企業再建王でかつては当時の国鉄に四国総局部分をくれ!と言ったらしい。結局はJRになったわけだが、彼の手に渡っていればJR四国はどうなっていたのだろうか。ただ、彼は敵も多かったようで、2代前の愛媛県知事との確執などは記憶に新しい。

というわけで、往復約30キロ、途中「疲れた」と言わなかったかずまるに、今後の期待がかかるのであった。

 
 
 
 
 
 

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第12話 清水〜姫原方面 (2005.08.21)

 
この日は朝から雨。午後から回復というものの、午後4時を過ぎてようやく雨が上がる。1日中家にいてたまるか!という我々かずくん倶楽部は16時10分頃に出撃。だが、家を出たとたんに再び降り出した雨にも負けず「近い距離だから最悪でも走れる」とばかり強行しました。

城北乃景能さきがけ野焼可奈(西岡十四王)御幸一丁目

これが民家の中にあるというのがすごいものです。

分け往けば道はありけ里すゝき原(柳原極堂)御幸一丁目不退寺裏

この寺は以前から猫の多いところでした。今日も・・・

二度とない人生だから二度とない人生だから一輪の花にも 無限の愛をそそいでゆこう一羽の鳥の声にも 無心の耳をかたむけてゆこう二度とない人生だからつゆくさのつゆにもめぐりあいの不思議を思い足をとどめてみつめてゆこう(坂村眞民)御幸一丁目弘願寺

念ずれば花ひらく(坂村眞民)御幸一丁目弘願寺

それにしても、この碑っていったいいくつあるの?今のところ4箇所あるようですが・・・

なんとも、道後温泉駅によく似た郵便局です。が、潮見付近の句碑はさっぱり判りませんでした。「門屋知照邸」というのが住宅地図を見ても判りませんし、ならば、ひょっとしてあそこ?というところは今日は時間がないので改めて・・・また、吉藤五丁目潮見バス停跡前というのも判りませんでした。困ったものです。

御降りや外湯に通ふ宿の傘(久保蘭香)鴨川一丁目久保内科

色々と調べてみたが、久保蘭香って何者?よく判りません。ここの医院の医師なのでしょうか。というわけで、午後6時が近くなって、このまま帰路に着きました。ここから自宅までは、自家用車ならば5分少々。

 
 
 
 
 
 

 

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