俳 句 の 世 界

 

松山句碑めぐり

 

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第13話 道後方面 (2005.09.01)

 
今日は道後界隈をゆっくりと・・・時間もないし・・・

神木唐楓さ庭に風媒畏しや(酒井黙禅)道後多幸町5-12

酒井黙禅といえば、日赤の名誉院長ですが、なんでこの民家の中に?

田高庵酒井黙禅旧居月盈虧田高の屋の眺めか奈(酒井黙禅)道後多幸町5-12

上の碑の右側に見えてます。今日はこれだけ。

 
 
 
 
 
 

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第14話 堀江方面 (2005.09.03)

 
今日はかずまるが部屋を片付けなかったことから自宅謹慎となって、かずまるが多分行くことのできない、高低差のある場所へ行ってきました。

古墳見え城山見えて長閑哉(酒井黙禅)吉藤五丁目潮見バス停跡前

草むらの中にひっそりと・・・なんとなくバス停跡に見えないこともないような建物の近くにありましたが、ここがバス停ということは、以前はこんな山中にもバスが走っていたということ?そして、なぜここに酒井黙禅??

三谷山神の心なりみかん熟る(門屋知照)吉藤五丁目門屋知照邸裏三谷大権現神社

門屋知照邸というのがこの付近にないのですが、大権現神社は見つけました。が、依然として門屋知照邸というのは見当がつきません。というところで、荒地と道路の境界部分に「株式会社門屋組」という看板が・・・株式会社門屋組には以前仕事でお世話になったことがあるのですが、ひょっとして・・・ということで、多分2碑はその荒地の中にあるだろうということで、諦めたうえで削除しました。

念ずれば花ひらく(坂村眞民)権現町県立盲老人ホーム権現荘

吉藤五丁目はとにかく広い!坂を登っていくと、白水台から堀江へ抜ける道へと合流するが、これがまたものすごい急坂。そしてその向こうにある碑がこれ。またまた発見!一体何箇所あるの?

降りに降る石をも育つ若葉雨(梵子)福角町東林寺

埋れ木になりつゝ川の猫柳(白鷹火風)福角町四ツ堂橋近く

母の前に着くまでは帰路秋の暮(光宗篁)東大栗町医座寺下県道脇

この後、何も考えずに県道を登って行って、途中で次の碑の場所が自転車で簡単にいけるようなところではないと気づいたときにはすでに時遅し。先ほどの登り道ですでに体力を使い果たしていた上に、30分以上延々と急坂を登っていって、そこに医座寺が見えると言うところで、やっと見つけました。

白雪乃たえまにみ遊留山松能美登里は空の色とこそ之連(宮満良親王)東大栗町医座寺

着いたときには、くたくたというより、気分が悪くなっていました。今日は単独で行って正解?

春光や愛を盡せる蜜柑園(作道放洋)平田町阿沼美神社参道

くたくたになって帰る途中、経路上に1碑あることに気付いて、鞭打って行きました。これが今日の最終点。

 
 
 
 
 
 

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第15話 斉院(さや)方面 (2005.09.04)

 
今日は昨日に引き続き単独出撃。朝から雨が降り続いて、午後4時頃にやんだと思ったら、その1時間前の雨の中へかずまるは友達宅へ遊びに行ってました。まあ、仕方ないか。

というわけで、まずは軽〜く肩慣らし。その後宝塔寺の河東碧梧桐家の墓へ行ってみたのですが、いくらなんでも、お墓と言うのは・・・(このシリーズ最初の碑がお墓であった)ということで、パスしました。

神祐古来偉功あり炳然たる威徳玉玲瓏人栄え村富む一千載仰ぎ望む高家守護の宮(小原六六庵北斎院町高家八幡神社)北斎院町高家八幡神社

百階苔磴露叢々蕭鼓鼕々金桂風祇樹森藏清廟遽堂○久住白龍雄高家祠儼思威普斎院郷榮粱稲豊旌幟翩翻社日子来黎庶古今同(古木越堂)北斎院町高家八幡神社

○は「木」ヘンに「眉」です。

神苑や相生松の緑立つ(酒井黙禅)南斎院町日吉神社

酒井黙禅さん、また登場しました。彼の碑をみつけるとほっとするのは何故?

苗代尓豊ミえす久や早稲於之祢(四時園其戎)南江戸六丁目東之池畔

昨日の体力が戻らず。宝塔寺の坂で体力を使い果たし、この先の愛光学園への坂が大変きつかったです。

 
 
 
 
 
 

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第16話 (続)堀江方面 (2005.09.10)

 
今日も朝から雨が降っていたが、午前10時にはあがり、一応完全武装で北条鹿島へかずまると往復30キロのサイクリングに出かけてきました。

ゆく希ふも可へらん時も玉ぼ古乃悲支毛の神にいのれとぞ思ふ(紀貫之)堀江町幸乃神社

まさに、執念の一撃。堀江町幸乃神社は何処へ。一般の地図を見ても、住宅地図を見てもさっぱり判らず、「あっとえひめ」に問い合わせても無視されるし・・・

で、問題の碑は一体どこにあったのか?実はJRで通勤していると、いや通勤していなくても、光洋台〜堀江間の海岸沿いは車でも何百回と走っています。その中で「たこ松」の松山側に祠があるのが気になっていました。もちろん、当時はそれが幸乃神社とも知らずに。そう、ここでかずまるの休暇と列車撮影とを兼ねて執念の一撃でした。

 
 
 
 
 
 

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第17話 垣生方面 (2005.09.11)

 
今日も朝から雨が降る中、執念で松山空港経由で行ってきました。往復20キロの行軍。

午前11時前に家を出た瞬間に雨が降り始め、仕方がないので11時半頃車で外食と選挙に出通うとしたら、降りだして、もう大丈夫だろうと午後1時頃に出かけたら、また降り始めました。が、今回は強行したところ、結局松山空港あたりで雨脚が強くなり、空港の公園で雨宿り。

や知登せもいで湯能誇伊豫絣鍵谷カナ女乃遺徳奈り計里(岡本松風)西垣生町長楽寺

雨が弱まったところで、松山空港下のトンネルへ。ここならば少々雨脚が強くなっても・・・と思ったら、雨が上がりました。で、長楽寺へ行ったのですが、この場所は垣生の三島神社のすぐ近く。鍵谷カナ女頌功堂が目前に見えます。かずまるも「ここ来たことない?」来ました。私としても、なんでわざわざ?と思います。

密乗の門太白花仰き入る(村上霽月)西垣生町長楽寺

やちとせもいでゆのほこり伊予絣鍵谷カナ女の遺徳なりけ里(岡本松風)西垣生町長楽寺

この碑はどこかで?と思ったら、同じ場所で漢字の違いの碑がありました。まさに、なんで?その後は再び松山空港トンネルを抜けて帰宅しました。

 
 
 
 
 
 

 

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