俳 句 の 世 界

 

松山句碑めぐり

 

> 松山の散策へ > 俳句の世界へ > 松山句碑巡りへ
 

第21話 小野、久谷方面 (2006.05.30)

 
今日は松山の東の端と南の端を単独自転車で巡ってきます。
 
一昨日の日曜日が出勤だったので、今日は代休。まずは、なぜか忘れてしまっていた龍穏寺から・・・

嘘のよな十六日桜咲きにけり(正岡子規)御幸一丁目龍穏寺、他7句

十六日桜のことを詠んだ句が8句ある。ただ、墓地のことでいろいろともめたらしく、果ては「禅の関係者以外立入禁止」とまで書いている。なんというお寺だ。こわくて、この碑以外の2碑を探す勇気がなかった。しかも、こんなに新しい句碑に価値があるのだろうか。というわけで、紹介は省略する。

ほとゝぎす鳴く山門に着きにけり(波多野二美)平井町明星院

鷹ノ子を過ぎたところで、斜めにはいる道をずっと進むと見えてきます。ここのご主人が数年前に亡くなられて、息子さんが後を継いだものの、多分日中は働きにでかけているらしい感じでした。と、以上は亡きご主人の奥さんから聞きました。

梅盛寺を追慕古跡保存を祈里て真心の通う道ありその道は古きえにしにかようみちかも(聖護院門跡大僧正正光)南梅本町梅盛寺跡

第1回目の生目神社のすぐ近く。新池の南にあるという情報だけで池を回って、ようやく見つけました。

松に高くある早春の風を聞く(森薫花壇)小村町荏原公民館小村分館

南梅本から一気に重信川を越えて、久谷までやってきました。碑そのものはすぐに見つかりましたが、ここへ来るまでが大変。一昨日の日曜日にやってきた場所がすぐそこに・・・

山川艸木悉有佛性(河東碧梧桐)東方町大蓮寺

河東碧梧桐は改革派として高浜虚子と対立していくのですが、自由詩ではないようです。自由詩といえば、やはり種田山頭火なのです。

久谷村を緑にそむる時をしもたのしみにして杉うゑにけり(昭和天皇)東方町市役所荏原支所

もうひとつ、三坂峠を越える途中に昭和天皇の碑があるらしいのですが、さすがにそこまではいけません。ついに除外碑になりました。

お遍路の誰もが持てる不仕合(森白象)浄瑠璃町八坂寺

浄瑠璃寺には「俳句の里巡り」で行ったのですが、こっちにも句碑があったようです。お寺に行く直前に生目神社という案内が・・・南梅本の神社とは関係があるのだろうか。

椿活希て香焚い天佛越刻む哉(正岡子規)東石井町椿石材センター

東石井町となっていますが、ここはサンパークのまん前。多分引っ越したのでしょう。が、それにしても、歴史のなさそうな碑でした。

 
 
 
 
 

> 松山の観光散策へ > 俳句の世界へ > 松山句碑巡りへ
 

第22話 河中、五明方面 (2006.06.04)

 
いよいよ今回で最終回、あと2碑をどうしようか思案中ではあるが、これで一応終了!
 
最後の句碑めぐりは、自家用車でなければいけない場所でしたが、直前になってかずまるが出撃拒否。最後が単独というのもなんだか間抜けでした。

湯の山や炭賣かへる宵月夜(正岡子規)溝辺町天理教教会分教会

県民文化会館付近で古町行きの坊っちゃん列車と出会い、そのまま一気に石手寺を越えて行きました。

神の杜聞きたき蝉と太鼓の音(三好湧川)食場町素鵞神社

あっとえひめの紹介では曽鵞神社となっていましたが、実際には素鵞神社のようでした。これだけ素鵞神社がありながら素鵞小学校と命名するには、少々勇気がいったと思うが。

脇起附勝歌仙「十三夜」の巻松永静雨捌(全38碑)河中町両新田神社

ずらっと並んだ38碑、最初からこれは1碑に減じたのであるが、ここには愛媛昭和連句草創の地と書かれていました。

山寺尓太刀をいたゝく時雨哉(夏目漱石)藤野町円福寺

山の中腹にあるお寺まで歩くの?と思ったところ狭いながらも車であがることができました。あとは1碑。

茎立や五明という古き里(富田狸通)菅沢町菅沢集会所

「五明という古き里」というよりは、五明牧場という響きが大変懐かしい。観光牧場として復活できないものかといつも思います。

これでついに、一応目標全ての句碑を巡りました。これから一体何をしようか?

 
 
 
 
 

> 松山の観光散策へ > 俳句の世界へ > 松山句碑巡りへ
 

第23話 久米方面 (2006.06.10)

 
これで終了と思っていたのですが、整理していたら、なんと久米地区がごっそりと抜けていました。まさに、フジテレビご自慢の「最終回特集・第2弾」。
 

坊っちゃん列車で古町から大街道まで乗車して、そこから川内行きのバスで鷹ノ子温泉下車。

この里に遍路の寺と温泉と(森白象)鷹子町鷹ノ子温泉泉源

ところが、句碑が見当たらない。温泉宿のフロントの人に尋ねてみたら、色々と探してくれたのだが、見当たらない。諦めようと思ったところ、その人は執念か、敷地内の飲食店のご主人に聞いてくれて、一緒に連れて行ってくれた。つまり、この碑は鷹ノ子温泉にあるのではなく、県道をはさんで反対側の、あくまで泉源にあったのである。多分少々みすぼらしい父子が「松山の句碑590碑全てを回ってるんです」ということで、慈悲が出たのだと思うが、フロントの方に大変感謝する次第である。

お遍路や極楽浄土疑はす(森白象)鷹子町極楽寺

鷹ノ子温泉泉源からはすぐの所にある。もうひとつの句碑はこれだこれだと思って撮影したところ、何を見ていたのか、全然違っており、仕方なく諦める。

朽野や四五戸の途絶えたゞ一戸(東東城)鷹子町日尾八幡神社

(一応)最後の場所は、このようにひとつの石碑に複数あるかと思えば、そうでもない碑もある。この右隣に1碑あるのだが、サイト表記できない漢字があるし、神社の南の草むらにも2碑あった。

実際、先ほどの鷹ノ子温泉で思った以上に時間をとってしまったし、残り時間も迫ってきた。もう、何がなんだか判らなくなったので、ここにあると思われる16碑全てで1箇所1碑と強引に割り切ってしまった。えーい、ここに来たことには違いあるまい!

これでついに、一応目標全ての句碑を巡りましたが、あと2碑ほど諦めがたい碑があるので、今後「最終回特集・第3弾」以降が出るかもしれない。

 
 
 
 
 

> 松山の観光散策へ > 俳句の世界へ > 松山句碑巡りへ
 

第24話 観月山公園 (2006.06.14)

 
「最終回特集・第3弾」。これで終わりになるか?もう少し道後1碑を追いかけるか?
 

まつやま句碑めぐり最大の謎を解く鍵は道後温泉駅売店に売っている本の中にあった。よっぽと買いたかったのだが、内容が現在執筆中のものと重なる部分が多いと思われるため、著作権侵害を考え、断念しました。

葦刈乃帰れば移る芦火可奈(重松美智緒)港山町観月山公園下全17碑

港山駅で下車して、一度三津の渡しまで出て、そこから過去2度ほど回ったところを回る。山裾を慎重に見ていく。観月山登山道を過ぎた辺りから、だんだんと不安になり、そのうちかずまると迷い込んだ隣の観月庵が近づき、こりまでか?と思ったまさにそこに碑がありました。まさに執念の一撃!