松山の観光案内 |
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第16話 十六日桜 〜冬に咲いた孝行桜〜 |
十六日桜・・・松山市教育委員会が設置した「俳句の里・道後コース」の中で記憶にあった場所です。「道後ぎやまんの庭」サイトによると、旧暦1月16日に咲く桜で、今年は2月16日にあたる、と聞いて、それは絶対行かなければならないと思い、行って見ました。
これは、元々十六日桜のあった龍隠寺です。ロシア人墓地の少し向こうにあります。ここの桜は戦災で焼け、枯れてしまったということです。 ここが、「俳句の里・道後コース」35番の十六日桜です。が、全く咲いておりません。この桜も一度枯れた後に新たに植えなおしたため、特異性が失われたと書かれています。 「俳句の里・道後コース」35番から坂を下りてきて、道後村めぐり24番「十六日桜」天徳寺の裏を見ると、おおっ、桜が咲いている!が、向かって右側は梅でした。が、左側は確かに桜である。なんで、冬に桜が咲くの?と、かずまるとしばし感激に浸りました。(2005.02.20) |
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第17話 ロシア人墓地 〜 敵味方を越えた親睦〜 |
私は現在、松山から故郷今治まで毎日通勤していますが、その際に結構本を読んでいます。そのほとんどは雑学本なのですが、その中にあったことです。また、「道後ぎやまんの庭」サイトにも書かれていることです。かつて日露戦争が起こったとき、ロシア兵は「マツヤマ!」と言って投降してきたといわれています。捕虜となるならば、松山に行きたい、と当時のロシア人が言ったくらい松山は良いイメージがあったようです。
松山では捕虜という暗いイメージはなく、結構自由に暮らせたと言われています。彼らが落とすお金により、松山に特需景気が訪れたともいわれます。捕虜に関する条約が締結されたことがまず第一なのですが、松山には温泉があり、気候も温暖です。また、「道後ぎやまんの庭」サイトでは「松山は四国八十八カ所巡りのお遍路さんへの「御接待の心」というものが根付いています。」と書かれていますが、それには私も賛成します。 私が宇和島に住んでいたとき、「行路病人」に関する制度のある地方自治体は三間町と宇和町(現西予市)だけでした。この2つの自治体に共通するのは、やはり四国八十八カ所です。とくにこの2つの市町の間には歯長峠という険しい峠があり、あるいは行き倒れになった人があったものと思われます。あるいは、松山という温暖な気候、そして、港を通じて交易の多いという土地柄が持つ一つの魅力なのかもしれません。(2005.02.20) |