愛 媛 の 散 策

 

松山の観光特攻隊!

 

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第五章 古町方面

 
一 大法寺

元々地味な松山市内の観光地の中では、さらに地味な方向に進むのだが、松山駅から道後温泉方面ではなく、逆方向に向うと、市内電車で四分のところに古町駅という伊予鉄道の駅がある。ここは、伊予鉄道の鉄道線である郊外電車と軌道線である市内電車の両方が発着している。

「おれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出掛けた。赤手拭は宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方になったから、汽車へ乗って古町の停車場まで来て下りた。学校まではこれから四丁(約四五○メートル)だ。訳はないとあるき出すと、向うから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。(中略)竪町の四つ角までくると今度は山嵐に出っ喰わした。

小説坊っちゃんでは、実は松山の街を舞台にしたのだろうということは判っていても、実際には松山の地名は出てこない。その中で、唯一実在の地名が出てくるのがこの「古町駅」である。

坊っちゃんの生活の範囲は現在の市役所あたりから大街道あたりだから、ここで古町が出てくるのは少々おかしい。しかし、実際には夏目漱石が松山へ滞在していた一年ほどの間に大街道から道後温泉までの線路が開通したのだが、その際実は道後温泉からこの古町までの線路も存在していた。従って、夏目漱石が小説坊っちゃんを執筆するにあたっては、松山の地名を出さない攻撃をしようとして、もう一方の路線の終着駅を故意か偶然かは判らないが、書いてしまったのではないか、と思われる。

が、ここで、ひとつ興味深いものがある。松前町五丁目に大法寺というお寺である。古町駅を出て左手方向へそれこそ四丁(約四五○メートル)ほど行ったところにこの大法寺がある。

「伊予細見」サイトをみると、吉田蔵澤という墨竹の画人がでてくる。「蔵澤は享和二年(一八〇三年)八一歳で没した。墓は松山市魚町(本町五丁目)の日蓮宗大法寺にある。」「松山地方では、今でも家宝として蔵澤の竹遺墨を秘蔵する家が多いと言われる」「子規が愛し、漱石がその魅力のとりこになった蔵澤」とある。実際には大法寺には吉田蔵澤の墓があるわけで、夏目漱石は蔵澤の竹遺墨を秘蔵する家で見たはずである。が、多分、大法寺の吉田蔵澤の墓にも来たのではないか。それだけ思い入れのある場所である。

夏目漱石がこれほど思い入れのあった場所故に、この古町という地名を残したのかもしれない。

二 庚申庵

庚申庵は、古町駅を出て右手方向へ線路をずっと歩いていくと行くことができる。次の大手町駅との中間点付近にあるから、そちらからでも行けるし、JR松山駅からでも歩けないことはない。

俳人栗田樗堂が、寛政一二年(一八〇〇)、五二歳の時に建てた庵で、昭和二四年九月一七日、県指定文化財・記念物の指定を受けた。最近立て替えられ、松山観光を巡ることのできるボンネットバス「マドンナバス」も立ち寄るようになった。ここだけに長時間居座るような場所ではないが、結構情緒のあるところである。

 

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