松山の観光特攻隊! |
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第五章 古町方面 |
三 坊っちゃん列車で古町から道後温泉まで @ 古町駅 私の一風変わったガイドブックもこれが最後になる。そこで、最後に坊っちゃん列車で古町から道後温泉まで坊っちゃん列車に乗って、松山の街のおさらいをしようと思う。 先にのべたように、休日などは道後温泉発の朝の便は軒並み満席になる。そういうときには古町から乗ればよい。実際、道後温泉から運んできたと思われる。大型タクシーやマイクロバスが古町駅に乗り付けて、団体客が乗っていくこともある。 そういう便利な場所なのであるが、欠点は一日三便しか古町発の便がないことである。そこで、今回は土曜休日で古町発一〇時四一分(平日は一一時〇一分)発の便に乗車して、道後温泉まで向かうことにする。 その坊っちゃん列車が古町駅にやってくるのは、一〇時一八分であるが、JR松山駅前から古町までが単線ということもあって、少々遅れることもある。そして、道後温泉駅などと同様に機関車の向きを帰る作業をして、一旦古町駅の留置線に留置される。 そして、列車がホームに到着するのは、一〇時四一分発の市内電車(専用軌道)がやってきた後、その後ろへ横付けされる。 この演出は非常に良い。坊っちゃん列車の始発駅は、この他に道後温泉駅、松山市駅があるが、個人的には、この古町駅の出発風景が一番好きである。近くに郊外電車のホームがあることから、ターミナル駅での旅の始まりをイメージするからかもしれない。 A JR松山駅前〜南堀端 古町駅を出て、三分でJR松山駅前電停に到着。ここからの乗客も結構多い。JR松山駅を出発すると、車掌が「本日は坊っちゃん列車にご乗車いただきまして、誠にありがとうございます。私ども伊予鉄道は・・・」という車内案内をしてくれる。次の電停が大手町。坊っちゃん列車は通過するが、ここにある郊外電車の鉄道線と市内電車の軌道線はお互いが複線であることから、通常「ダイヤモンドクロス」と呼ばれ、鉄道ファンがカメラを構えているのをよく見かける。 このあたりから、車掌の動作に注目すると、車両の後方にあるロープを解いているのが見える。ロープを解くことによって、先の述べた客車の上に取り付けられたビューゲルが上がる。 西堀端に来ると、目の前に堀が見えてくる。松山の市街地の中で最も緑の多いところで、散歩する人も多い。ここで本町線と合流するが、坊っちゃん列車の客車の場合は特に車両が揺れる。 南堀端では今度は松山市駅方面へ向うデルタ分岐がある。愛媛県立美術館や市民会館へいく場合はここで下車することになる。坊っちゃん列車は、ここからの乗車はできないが、下車することはできる。 B 市役所前〜大街道 南堀端から松山市役所方面へ堀に沿って向かうと、その反対側には農協会館、愛媛県警察本部、家庭裁判所、伊予銀行本店と続く。そのあたりから左手には松山城が見え始め、師や小の車窓案内がある。そして、坊っちゃん列車が東堀端へ出る、まさに市役所前、伊予銀行前交差点で道後温泉からやってきた坊っちゃん列車とすれ違うことがある。列車代や上はそうなっているのだが、道路事情によって双方の時刻がズレて、ここですれ違わないこともあるが、ここですれ違う坊っちゃん列車の写真はあちこちで見ることができる。また、ここからみる松山城も色々なパンフレットなどで見かける。 この交差点の堀側には、八股榎お袖大明神という狸伝説の史跡があり、その松山城側には河東碧梧桐の句碑「さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ」がある。松山周辺には、それだけで一冊の本になるくらいの狸伝説がある。 市役所前電停を過ぎ、正面見える県庁前の交差点直前右手に、西日本電信電話株式会社四国支店があり、これが夏目漱石の赴任した元松山中学で、「わかるゝや一鳥啼て雲に入る」という句碑がある。 西日本電信電話株式会社四国支店の国道を挟んで北側に県庁があり、車掌が県庁本館の案内をしてくれるが、その交差点で信号待ちをしている時に、時間の都合で少々遅れた、道後温泉からやってきた坊っちゃん列車とすれ違うことがあるが、この交差点ですれ違えば、道後温泉行きの列車の中から二編成の坊っちゃん列車を同時に撮影することができる。 県庁を過ぎると、松山地方検察庁、松山地方裁判所と続き、その山手中腹に萬翠荘があり、その山裾に平成一九年四月に開館する「坂の上の雲会館」が見える。また、その反対側に三越があるが、そのさらに向こう側に、「愚陀仏庵」跡がある。なお、愚陀仏庵は萬翠荘の裏手に復元されている まもなく、車掌が大街道に近づいていることを知らせてくれる。もちろん、道後温泉をめざす場合は、そのまま乗車しても良い。 C 大街道〜上一万 大街道を過ぎると、電車通りからは見えないが、北側(進行方向左側)に秋山兄弟生誕地を復元した資料館がある。左手にカニの模型がある店の交差点を過ぎると、左手方向に斜めに伸びる細い道路が元の松山電気軌道跡である。さらに、勝山町交差点で左折するのだが、前方に見える愛媛銀行本店の裏手に、銀行を突き抜けるような細い道があるが、これが元の道後鉄道跡である。かつて、大街道から道後温泉までの十分の間に二つの鉄道が走っていた。 警察署前電停のある松山東警察署には「愛媛農学教育発祥の地」という碑が見える。さらに、その反対には先ほどの松山電気軌道跡だった斜めの道路が交差し、すぐに六角堂の赤い建物が見える。ここにも狸伝説がある。 D 上一万〜道後温泉 かつては、ここから道後温泉までの道路は狭く、なんとなく温泉街へ近づいたな、という雰囲気があったが、現在は道後温泉駅まで完全に片側二車線に改良された。 上一万を過ぎて、最初の信号で先ほど述べた道後鉄道跡の道路と交差する。かつて明治時代には、道後鉄道と松山電気軌道がこの場所で立体交差していたのである。 南町には、左手に愛媛県県民文化会館がある。総工費二〇二億円、各種会議等やイベントに利用されている。ただ、あくまで会議、イベント用の施設であって、音響設備だけに限って言えば、松山市民会館の方がよいらしい。設計したのは東京都庁などの建築で有名な丹下健三氏、氏は今治市に在住していたこともあり、今治市の名誉市民になっている。 そして、まもなく車掌が道後温泉終点へと近づいていることを知らせてくれる。「まもなく終点の道後温泉です。この道後温泉は日本最古の温泉で、およそ三千年の歴史があるといわれ、一年を通じて観光客の絶え間がありません。温泉は日本全国いたるところにありますが、この道後温泉は全国で唯ひとつ、天皇皇族専用のお湯殿の又新殿があります。本日は坊っちゃん列車にご乗車いただきまことにありがとうございました。」 |