愛 媛 の 散 策

 

愛 媛 を 歩 く !

 
国土地理院の規定に基づき、同2万5千分の1の地図へのリンクをしています。

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西衣山金刀比羅神社〜久万ノ台(松山市:低山登山)

私の自宅の西側には緩やかな台地が広がっている。その南西方向に妻の実家があって、西衣山駅がある。通常は南側を迂回していき、衣山駅から電車に乗る場合はその東側の麓を歩いていくことになる。が、この経路をまっすぐに進むと、結構面白い風景があり、面白い発見がある。

2005年3月27日(日)、午後から天気が下り坂という予報であった。来週から本格的に山歩きが始まるため、ここは予行演習をしてみることにした。午前11時過ぎに出発して、約1時間の予定である。

久万の台の自宅を出て、かすり会館を抜け、伊予鉄衣山駅をすり抜け、ここと西衣山駅の間にある金刀比羅神社まで歩く。つまり、先ほどの話のとおり、往路は南側を迂回したわけである。そこから復路はまっすぐ山を突き抜けて帰るというわけである。

金刀比羅神社は伊予鉄道衣山駅と西衣山駅の中間から少し西衣山寄り、バスならば金刀比羅前というバス停がある。ここから北側を向けば、神社に向かって一直線に階段がある。

金比羅神社へは5分余り登ればたどり着く。ちょうど東には松山城が望める。これはこれで結構な眺めなのであるが、今日の目的は某サイトにある私有地の公園である。ここから東の方向へ行けばあるはずであるが、一気に駆け抜けて通り過ぎてはならない。少々高いところを歩いて下を眺めるように歩けば見逃すことはあるまいと思って、5分ほど歩くと目的物を発見した。ちなみに、遊具の向こうに見えるのが大峰ケ台(松山総合公園)である。

これが噂の「トーマスランド」である。私有地であるが、「自由に使用してよいが、万一の責は負わない」という看板がある。まあ、なんと太っ腹な地主さんである。その向こうでお墓参りをしていた親子連れもこちらへやってきて、しばし一緒に遊ぶ。機関車トーマスの後ろには客車もあり。屋根もついている。この場合著作権なぞ問題ではなかろう。自宅の近所にこんな場所があるとは知らなかった。

が、しばらくすると、雨がぽつりぽつりと降り出して、やむなく引き上げることになる。そこから自宅方向へ向かうと、公園の看板まである。自宅までは徒歩で約10分程度。かずまるの遊戯場所がひとつ増えたようだ。(2006.02.23、撮影当日)

 

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松山市伊台〜瀬戸風峠〜道後(松山市:安直登山)

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松山市の周辺部では結構山の中腹に団地がある。「道後村めぐり」最大の難所「瀬戸風峠」も登ってしまえば、そこに大分譲地が現れる。ということで、2005年4月2日(土)にそこまでバスで行って、道後へ降りてくるという手抜き散策をすることにした。今回から国土地理院の地図を見ながらの紀行とする。

本当は「松組」の西側から南へ伸びる登山道を通って、一度南白水3丁目へ出、そこから瀬戸風峠へ出ることを考えたが、先週同様雨が心配である。そこで、伊台団地南側の登山道へ切り替えることにし、10時46分に道後平ニュータウンで下車した。

このあたりは、大分譲団地であるのだが、まだ家が建て込んでいる状態ではなく、とろとろと団地の中を15分ほど歩くと、松山市内が一望できる瀬戸風峠へと出る。結局のところ、瀬戸風峠から降りていくだけである。

が、実際に行ってみると、道の形状と地図の道の位置がまるで違う。瀬戸風峠にしても、実際には石手寺方面と常信寺方面への道路の三叉路であるのだが、地図で見る限りはそうはなっていない。要するに、農道というものは、その幅員が確保されていればよいのであって、人が歩けるかどうかを確保しているものではない。

我々は石手寺の方向へ向かおうとするが、かずまるは常信寺へ行かなければ「道後村めぐり」ができないと主張する。そこならば下からでも近いと言い聞かせて、瀬戸風峠の展望台へと向かう。この道は「海抜217」の下の「223.5の三角点」付近までアップダウンが続く。基本的には下っているのだが、上りもある。かずまるは「もう登れない」を連発する。そんなことで今後の挑戦は大丈夫か?そういえば、昨年この逆ルートで山を登ったときには、かずまるは途中、道で寝転がってしまった。あのときは、まさにアメをなめさせて血糖値をあげたものである。

さて、我々は「223.5の三角点」南西部から点線の道路を下山する予定である。ちょうど「常光寺町」の左側を下るルートである。が、その入口がわからない。祠のある三叉路から一度山を少し登るルートはあるのだが、そこから下る道がない。しかし、地図をよく見ると、その点線道路は一度山を登ることが解る。つまり、その祠のある三叉路から南へ下る道であるようだ。その道をもう一度よく見てみるが、100メートルほど行ったところで、道すらわからなくなる。点線の道路については、この地図がほとんど役に立たない可能性があることが解る。今後の山歩きに暗雲さえかかったような気がする。

どうしようかと迷った末、気をとりなおして、そのまま下ることにする。先ほどの三叉路から少し行ったところから、下に開けた谷が現れる。地図を見るが、前方の家は地図の「常光寺町」の「光」の左上の建物であると確信する。しかし、地図でも実際にも底への道はない。が、風景を見ていると、そこに水路がある。国有水路である可能性が高い。つまり、畑であってもその部分は実際には官地であるのではないか?と親子3人、道から転がるように崖を下る。妻が「(私の)猫道走破が始まった」と言う。上の写真でいう下の水路部分まで出れば、あとはなんとか下っていくことができる。

建物のところまで行けば、あとはコンクリート舗装へと出る。「常光寺町」の「光」の右上へ向かうされた道へ、そしてアスファルト舗装された道道路装された車の通れる道である。また、「光」の右も点線であるが、この道はアスファルト舗下向かって登っていく。が、これが結局正解の道から下方向への道もあるが、この道は峠へだったのだがため、結局は石手寺北にある碑の東側を回って、我々はそのまま下ってしまった、あ、まともな道を下るよりはマシだったようだ。こ国道へと出た。少々遠回りにはなったが、まのあたりあるが、下ってきた割には、1時間以上かかって、瀬戸風峠まで3.5キロという標識がしまった。

が、今後の山歩きを考えると、山中の道路が果たして歩けるのか、と心配にもなる今回の山歩きである。(2006.02.23、撮影当日)

 

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