愛 媛 の 散 策

 

愛 媛 を 歩 く !

 
国土地理院の規定に基づき、同2万5千分の1の地図へのリンクをしています。

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垣生山(松山市:低山登山)

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松山空港を見下ろせる山で、付近は一面の桜並木、と紹介されている垣生山は、本来桜の時期に行くべきだったのだろう。が、比較的安易に行きやすいようでもあったので、3月4日に出かけることにした。

松山空港行きのバスならば南吉田東、三津浜港行きならば生石小学校前で下車となる。バスは前者ならば15分間隔、後者は30分間隔(時間帯によっては15分間)で運転されている。

さて、目的物ははっきりとわかるのだが、案外登山口がよく判らない。急に思い立ったため、地図を持っていかなかったからでもあるのだが、実際には地図の「山崎」の「崎」の右上にある道を利用すればすぐに着く。

実際、13時25分頃に南吉田東に着いたのだが、登山口を見つけたのが40分頃、頂上には55分頃に着いたから、かなり気楽に登れる山である。

頂上には展望台があり、眼下に松山空港を望むことができる。北側以外は西に松山港、南に伊予市方面、そして東には松山市内を一望でき、その向こうには皿ケ峰連山が見え、さらには石鎚の山々まで望むことができる。

展望台では超特大望遠レンズで飛行機を撮影している人がいた。どこの世界にもマニアがいるものだ。

山頂には垣生山が城址であったことを示す祠があり、小さいながらも遊戯施設もある。

我々は帰りは、北側の登山道を降りた。かずまるは走るように、いやコンクリート舗装の農道となったところから走って下ったため、北吉田のバス停までは10分とはかからなかった。(2006.03.05、撮影日当日)

 

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三坂峠〜丹波・四国のみち

(久万高原町〜松山市:安直登山)

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3月11日(土)、登山というより、四国の道を歩いてみることにした。「愛媛の山」という本では、逆に松山市丹波から登ってきて、さらに三坂峠の上にある黒森山へと向かうコースが紹介されているが、我々にはとんでもない話である。

松山からバスで約1時間揺られて、13時ちょうどに標高約700メートルの三坂峠バス停へと到着する。ここから標高約140メートルの丹波バス停をめざす。丹波バス停15時29分発。距離は約6キロ。である。

三坂峠は元々はドライブインがあったが、今は伊予鉄道の研修所となっている。ここのバス停を13時05分に出発。上り坂がはじまると、かずまるが「まだ登るの?」という。少々は登らんかい。が、それも5分とは続かない。突如松山平野が眼下に広がって、急な下り坂が始まる。

下りは結構急坂である。その中で下から登ってきたおじさんを見かける。そのすぐ下に鍋割坂という表示がある。かつて宇和島鬼ケ城山へ登った時には、その途中に「泣坂」というのがあった。急坂をあらわしているのだろう。が、我々は逆に下るのみである。

先日の雨のせいか、少々足元もぬかるんでいる。30分ほど降りるとかずまるが「疲れた」を連発する。昼食をこの先にある休憩所でとろうと思っているため急がせる。

これが地図にあった休憩所。三坂峠から1・5キロ、30分ほどのところ。地図でいえば、439メートルの表示がある川を越えるところである。ここで昼食をとって、25分ほど休む。

休憩所のところからは、一応車が走れる道になる。もはや眺望はきかない。ただ、ひたすら歩くだけである。振り返ると、三坂峠の山が壁のように立ちふさがる。この上から一気に降りてきたわけである。

ここが旧遍路宿「坂本屋」である。遍路道として、昭和初期までは栄えていたところで、平成16年に復元されたという。ここの校区は「坂本小学校」であるが、どのような関係があるのだろうか。ここには案内板があって、丹波バス停まではあと3・5キロとあるが、多分3キロ程度だと思う。

丹波バス停まであと1キロのところにある「網掛石」。弘法大師が網に入れて持ち歩いたため、網目がついているというが、大きな石を持ち歩いていたものである。この弘法大師、このあたりで一夜の宿を所望したところ、断られたのを逆恨みして、主人の8人の子供を呪い殺したというから、詮索するのはよそう。ちなみに、先の主人は弘法大師を探して病に倒れたところで、弘法大師が現れ、次世で石を握ったまま生まれ、その手を開いたところ、前世の名前が書かれた石が見つかったが、その場所が石手寺だというらしい。

ここで、さきほどから地域を回っていた巡査と観光客らしいおばちゃん御一行から、「ボク山から下りてきたの?エライねえ」といわれていた。わたしゃ鬼か?

丹波バス停に到着したのが15時10分頃、思ったより時間はかかったが、なんとか間に合った。かずまるはここの待ち時間で、ミニプラを組み立てていた。

私は森松まではずっと寝ていた。森松に着いて、ありゃ思ったより乗車率がよいではないか、と思ったのもつかの間、森松を過ぎると乗車してくる者は全くいなかった。バスは案内表示にあるとおり、立花予定時刻は4分遅れの16時09分着、予定どおりに郊外電車には間に合わず、15分遅れで帰ったのであった。(2006.03.12、撮影日当日)

 

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