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岩子山登山道(松山市:低山登山) 一度は行ってみようと思っている岩子山であるが、「まつやま句碑めぐり」でどうしても場所のわからない「吉重神社」が松山市考古館から岩子山へ登る途中にあると聞いて、二兎を追うつもりで出かけてみた。 考古館でしばらく時間をつぶして、さて、裏の道を登ろうと思ったが、どうも山頂と方向が違う。吉重神社が中腹に見えるが、これでいけるのか?と、しばらく登ると、情報どおり2個のベンチが見えてきた。が、そこから先は道が荒れていて登れない。梅雨時期でもあるし、この時期に無理は禁物だ。それに、今日の本当の目的は吉重神社である。 一度下って、人家の中を歩くと、おおっ、ついに「吉重命神社」の参道を発見する。 が、その後がどうにもならない。人に尋ねたら、「この山のこちら側は私の土地ですが、どこを通っていいですよ」と、ありがたい言葉をいただいたが、多分、その地主さんの土地を離れた場所があまりにも荒れているのである。 しかも、雨が降り始めた。が、我々はほとんど濡れないほどの生い茂った山道を歩いて、向こうに軽井沢団地が見えたところで、道が尽きる。無理はできない。今度は軽井沢団地方面から決行しようか。 しかたなく、山の中腹から街を眺めて一度下り、西衣山方面へと抜けたのであった。(2006.05.27、撮影は出撃日) |
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牛ノ峯地蔵(内子町、伊予市双海:単独登山) 昨年秋頃、今治時代の職場の昼食後に今治市伯方支所の図書館で見つけた「愛媛の山」特集で気になったいた牛ノ峯であるが、いざ登ってみようと思うと、4月末以来、急な仕事、体調不良、悪天候、果てはかずまるの体調不良で夏を迎えてしまった。ここへ行くには、平日でなければバスがないため、どうしても休暇をとらなければならない。 この山道は、元々は内子から瀬戸内海へ向う唯一の生活道路だったという。 ようやく、10月20日(金)に出かけることになったのだが、朝家から外を見ると、思ったより天気がよくない。レーダーを見ると、なんと中国地方に雨雲がかかっているではないか。しかたなく、雨具を持って出かける。 松山から内子まではJRの定期が使える。これがドイツだったら「定められた区間でなければ、たとえ区間内でも使用不可」らしい。日本でも厳密に言ったら使用不可なのらしいが、日本は前途無効という考え方があるから「現状では黙認」となっている。多分裁判に持ち込まれたら勝てないと考えるのだろう。 松山発10時11分の特急宇和海5号で内子へ向い、駅前のスーパーで昼食を仕入れ、時間があるので駅前広場で食べる。バスの出発までに55分ほどある。JRは1時間おきにあるから、完全に時間の無駄だが、そういう旅行者はいないのだろう。 時間があるので、旧内子線内子駅跡へ行ってみたのだが、跡が全く残っていない。はて?自分も八幡浜新採勤務頃には実際に内子駅で昼食をとったこともあるのに、完全に道路にリリースされてしまっている。以前は終点の向こうに学校があったから、完全に道路になってしまったのだろう。 内子駅からは伊予鉄南予バスで石畳へと向う。乗車したときは1人だったが、内子の街を出るまでに5人ほど地元のおばさんが乗り込んで、車内は喧騒に包まれる。というより、私一人が「このおっさん何者や?」という視線を感じる。 しかも、このバスは国道から駅へと入ってくるため、国道入口にあるバス停では2回停車するのだが、その間を重複して乗車したほうが運賃が10円安い。10円位どうでも良いのだが、駅前で1時間近く待たされただけに釈然としない。 終点「石畳の宿」でバスを降りる。バスはすぐに戻っていく。この「石畳の宿」は田舎生活を満喫するための施設で、夕食は地元の人が提供してくれるのだという。私は国土地理院2万5千分の1の地図と、例の愛媛の山の本を持って登山に入る。 12時ちょうどにバス停を出発。道路から登山口までは思ったより距離があり、ここまでに10分ほどかかる。「牛ノ峯参道」か書かれた水車小屋の脇からいよいよ登山道に入る。 愛媛の山の本には「途中で川を渡る」とあるので、この場所から右にある橋を渡ってしまい、一度迷いかける。この石碑を見ると、「右山道、左牛ノ峯」と確かに書かれているのだが、「左牛ノ峯」がどうみても既に右側向いている。その右側に「右山道」とあるわけで、確かによく見なかった私が悪いのだが、15分ほどロスをする。 ここが、本当の川を渡る所で、渡らずに画面右側へ行けば上水施設から登山道へ戻れると書いてある。国土地理院の地図ではそちらの方がメインルートになっているようだ。私は川を渡ったが、ここから道が険しくなる。 1回目の林道との合流。15分ほどロスをしたため。ここをガイドブックより18分遅れの12時48分に通過。 ここからは急坂の連続である。内子と瀬戸内海との生活道路だったというが、過去の人々は体力があったのだろう。道路の脇にはお地蔵さんがあって、「○丁」と距離をあらわしてくれる。もう迷うこともない。辺りは静寂で私の鼓動だけが聞こえる。が、突如、ゴロゴロという音が聞こえる。雷鳴か?だが、空の様子は全く判らない。それだったら大変なことになる。が、途中で陽がさす。が、しばらくするとゴロゴロという音が聞こえる。 2度目の林道に到着する。今度の道路は舗装されていない。正面の登山道を行くと、最初自分の左手に立ちはだかった断崖が遥か下に見える。さらぱ、内子。 そして、ついに内子側の地蔵堂へと到着する。ガイドブックでは1回目の林道から40分、つまりバス停から70分となっているが、時刻は13時33分。15分ほどロスしたとはいえ、10分以上遅い。 内子側の地蔵堂を出発すると、すぐに分水嶺を越えて、下り始め、双海側の地蔵堂へと出る。その向こうにはパラグライダーの離陸地点があり、車が何台か止まって、離陸準備をしている人がいる。しかし、それだからか、こちらの地蔵堂は少々荒れているような気がしないでもない。結局、人が集まるところはそういうことになるのだろうか。 パラグライダーの離陸地点から双海を望む。見通しは余りよくないが、雨の心配はないようだ。先ほどのゴロゴロという音は、飛行機の音だったようだ。確かに松山空港を飛び立った飛行機はこのあたりでUターンして東京、大阪方面へと向う。騒音というほどではないが、気になるし、結構な頻度で音がする。ということは、双海の人々は日中思わぬ騒音に悩まされているようだ。 双海側の地蔵堂を13時40分に出発。ガイドブックではここから伊予上灘の駅までは10キロ2時間と書かれている。が、下りは思ったより急で速度が出ない。最初の800メートルに15分近くかかっている。ガイドブックでは平均時速5キロを想定している。つまり、1キロを12分で歩かなければならない。これでは、2時間ではとても到達できない。 上の写真がちょうど中間点にある梨園から少し歩いたところ、あるいはあと4キロ程度あたりである。ここでしばし休憩したのだが、時刻はすでに15時00分である。JRの時刻は16時29分(実際はこの段階では下灘の16時21分と間違っていた。)あと1時間ちょっとであそこまで行けるのか?しかも、右下には延々と山裾に道路がうねっているのが見える。 しかたなく、このあたりから少し早足になる。というより、ジョギングになる。途中、みかんを収穫したオッサンが「食べていくか?」と誘ってくれたのだが、時間がない。 更に下ると、道路工事で迂回路を歩く。迂回路といっても、急斜面をショートカットするので、歩く距離は短いのだが、コンクリート舗装の急斜面は膝に堪える。 工事区間を過ぎると、ようやく公園に出る。公園を過ぎたところで、ようやくすぐそこにJR伊予上灘駅が見えてくる。時刻は15時40分。もう間に合う。結局16時00分頃に伊予上灘駅へと到着する。目の前に半年前に登った本尊山が見える。 が、一体、双海側地蔵堂から10キロ120分というのは何だったんだ?途中6キロあたりから2キロほどジョギングして2時間20分かかったのである。 JRには間に合ったが、実際には出発時刻が16時29分の間違いだったことをここで知る。そうすると、あと30分近くが妙に長く感じられる。ともかく、かずまるを同行させるのはこの山も無理ということだけは判ったのであった。 (2006.10.22、撮影は2006.10.20) |
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