愛 媛 の 散 策

道後村めぐり・2007年春〜夏・夏編

 
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今年の夏休みはスキあらば自由研究にしてやろうか?

 

残りの全てを回ってきました。

かずくん倶楽部が回った順に掲載しています。

(撮影は特に記載がなければ全て出撃日)

7月29日午後1時〜午後5時半

 

27番天徳寺(十六日桜):つくしけん人のまことをにほはせてさくかむ月のはつさくらばな(西村清臣)

句碑と十六日桜は、春編を見てください。

 

26番弘願寺:念ずれば花ひらく(坂村真民)

前回同様、念じてきました。

 

25番長建寺:もりもりもりあかる雲へあゆむ(種田山頭火)

以前は「よくみれば薺花(なずな)花咲くかきねかな」であった。今回、かずまるに「なんで五七五じゃないの?」と言われてしまった。自由詩と言ったって、かずまるには判るまい。いや、私も判らない。

 

24番来迎寺:永久眠る孝子ざくらのそのほとり(波多野二美)

句碑は来迎寺北側のロシア人墓地にある。春編を参考にしてください。

 

23番千秋寺:山本や寺は黄檗杉は秋(正岡子規)

句碑は寺内にある。「山本」は御幸寺山の麓のことであって、人の名ではない。ここはトイレも整備され、お弁当を広げられるスペースも確保されている。

 

22番一草庵:鉄鉢の中にも霰(種田山頭火)

句碑は敷地内にある。バス停もできて、人がたくさんやってきて、「これですか?」とよく言われる。まさに、自由詩の大御所。

 

21番護国神社:熟田津に船乗りせんと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな(額田王)

句碑は護国神社というよりも、北西側の植物園にある。ただし、実際の句碑の内容は漢字だけで書かれている。ちなみに、かずまるは、ここでカブトムシのいそうな木を見つけたらしい。

 

30番:春光や三百年の城の景(酒井黙禅)

句碑は松山市祝谷5丁目道後公民館祝谷分館にある。正岡子規の句から変更された。今回は句碑の方へ行ってきた。

 

28番松山神社:しろ山の鶯来鳴く士族町(高浜虚子)

菅原道真を祀る社と徳川家康を祀る東照宮を合わせた神社。この句碑めぐりも色々な思い出があったものである。ここも、とりあえず、句碑だけを撮影。

 

29番常信寺:色鳥のいろこぼれけりむら紅葉(黒田青菱)

松山藩主が鬼門の鎮護のために建てた天台宗の寺。以前同様、本日もトイレに行かせていただきました。ここも、とりあえず、句碑だけを撮影。

 

20番愛媛県民文化会館:ふるさとに花の山あり温泉あり(高浜虚子)

高浜虚子といえば、正岡子規を頂点とする近代俳句の中で、河東碧梧桐の自由詩に対して、正統派の俳句を目指したことで有名である。が、正直言ってしまえば、この俳句がなぜここにあるべきなのか?イマイチ理解できない気もする。

 

11番湯築城跡:元旦や一糸の天子不二の山(内藤鳴雪)

句碑は釜薬師から湯築城跡へ少し登ったところにある。この付近には「道後村めぐり」や「俳句の里巡り」など、たくさんの句碑があるため、ここの場所は案外見落としそうである。

 

19番へんろ橋:霞む日や巡礼親子二人なり(夏目漱石)

ここは、50番札所繁多寺とと51番札所石手寺をむすぶ遍路道。それにしても、巡礼親子で二人ねえ。

 

18番東野御茶屋跡:ふるさとのこの松伐るな竹切るな(高浜虚子)

句碑は左写真に見える。東野御茶屋は旧松山城主久松氏の造った庭園であったが、明治になって、現愛媛県農業大学校の農園として、その後は愛媛県研修所、農協学園として、その大半が失われてしまったが、淡路ケ峠から北側へ少々下ったところから見ると、住宅地も含めて、その当時の様子が浮かび上がる。

 

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