松山の句碑巡り

 
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第5部 城南編

第4章 平成17年6月11日(土)

「俳句の里巡り」もいよいよ佳境を迎えた。完全制覇まであと8箇所である。今日は妻が午前中仕事があって、夕方砥部町で用事があるので、久米窪田方面へ公共交通機関で出かけ、途中から妻と合流して、自家用車で荏原方面を回る予定である。

8番:秋風や高井のていれぎ三津の鯛(正岡子規)松山市高井町(西林寺)

松山市駅から伊予鉄郊外電車で久米駅へ。そこから久米窪田100円バスで高井局へ。さらに徒歩でたどり着くこのあたりのバス路線は、元々朝の松山方面と夕方の森松方面が合計3便しか運転されてなかったのに、一度は全廃した後に久米から30分毎発のループバスが復活した。

正岡子規は、闘病生活においても、結構食に対して貪欲だったという。ていれぎは清流に自生する緑色の水草で、辛味があって、刺し身のツマである。ミョウガのようなものか。このあたりは「ていれぎの里」で有名だが、今場も松山市の取水施設が点在している。それに三津の鯛が添えられている。

9番:ていれぎの下葉浅黄に秋の風(正岡子規)松山市南高井町(杖の淵公園)

杖の淵公園は弘法大師の杖を突き刺した先から水が湧いたという伝説からその名がついた杖の淵。環境省選定の名水百選に選ばれた。

西林寺からさらに歩いてたどり着く。朝から降っていた雨はやんだものの、結構蒸し暑い。正岡子規はていれぎに関して2句とも秋を詠んでいるが、今は梅雨の真っ只中。かずまるはしばしここで遊ぶが、私は寝転んで妻を待つ。

寝て待てば鯉にていれぎ梅雨の空(かずまる父)鯛のツマと妻をかけました!

11番:永き日や衛門三郎浄瑠理寺(正岡子規)松山市浄瑠璃町(浄瑠璃寺)

杖の淵公園からは一転、自家用車で回る。四国八十八ケ所巡りのお寺だから判りやすいはずだが、結構場所に悩んだ。

10番:旅人のうた登り行く若葉かな草履単衣竹杖斑 弧村七月聴綿蠻(めんばん)青々稲長恵原里淡々雲懸三阪山(正岡子規)松山市窪野町(旧窪野公民館跡)

旧窪野公民館跡などと書いているから、地図には載っていない。判るかどうか行ってみる。坂本公民館では「窪野」という文字と「子規の碑」の文字が見える。が、最後は結局地元の方の協力でたどり着いた。

残すは、伊予鉄道横河原線沿線の4箇所(一部川内バス路線)のみ。

 
第5部 城南編

第4章 平成17年6月25日(土)

「俳句の里巡り」最終回。これで一応松山市教育委員会が設定した全133箇所の碑を制覇することになる。

まずは、実母の見舞いに行った後に、道後姫塚から桑原農協前でバスを乗り継いで、久米へと向かう。

4番:霜月の空也は骨に生きにける(正岡子規)松山市鷹子町(浄土寺)

浄土寺は、四国49番札所で真言宗の寺である。空也は阿弥陀聖ともいわれ、3年間この寺にとどまったという。

6番:巡礼の夢を冷やすや松の露(南側)
  茸狩や浅き山々女連れ(北側)(正岡子規)
  松山市平井町(伊予鉄平井駅前)

久米から平井までは電車で移動する。平井駅は旧国道11号に近いが、駅はその反対側の旧道の方を向いている。駅前から旧道にでたところに池があるが、東側へ150メートルほどに「兜松」(通称さがり松)があって、おへんろさんや金刀比羅参りの旅人はこの松の下で一休みしていたという。

正岡子規は明治24819日から21日まで、友人と2人で温泉郡川内町の唐岬、白猪の滝を見物に行って、そのときの情景を詠んだものと言う。それにしても、これらの滝まで2泊3日というのは、我々には想像も及ばない時代だと感じる。

5番:火や鉦や遠里小野の虫送(正岡子規)松山市平井町(千福寺)

平井駅から東へ行くと千福寺にでる。ひょっとして、先ほどの松はこの辺りにあったものだろうか。ここの近くにある公園でしばし休憩、でも暑かった。

遠里小野は大阪市墨江町に今もあるらしい。双方の「小野」という地名からこの句ができたとされている。

そして、いよいよ「俳句の里巡り」もあと1句となった。平井からバスに乗って、自衛隊前バス停で下車する。このあたりは大尺寺庵とか大尺寺橋など、いたるところに大尺寺の名が見えるが、句碑としては大尺寺跡という。つまり、現在は存在しない寺のようである。ともかく大尺寺庵をめざしたが、みごとに空振り。しかも、かずまるが靴擦れを起こした。仕方なく、肩車をして大尺寺橋へと向かう。が、このあたりは結構アップダウンが多い。大尺寺庵は河岸段丘の上にあって、ここから道を下って、川沿いに登って大尺寺橋へと出る。

大尺寺橋へでたところで、考え込む。ここにこの名前の橋があるということは、寺はこのどちらかである。が、どちらへ行っても坂を登る。とりあえず、旧国道から遠い方向へと向かう。が、いくら歩いても手がかりがない。すでに予定時刻をオーバーしている。かずまるが重い。というところで、ふと、もうひとつ「大尺寺」の名があったことを思い出す。それが大尺寺公園であり、先ほどの大尺寺橋から反対側への道である。これで失敗したら、今日は諦めなければならない。

7番:松三代北向地蔵秋涼し(酒井黙禅)松山市北梅本町(大尺寺跡)

最後の勘は的中した。さきほどの大尺寺庵からまっすぐに川へと降りず、道路沿いに迂回して大尺寺橋へと向かっていれば、ここへ来れたはずである。が、まあいい。いよいよ最終目的地へと到着した。

大尺寺の近くにあった地蔵は右の耳がないことから片耳地蔵とよばれ、耳の病気にかかったとき祈願すると病気が治ったと言う。松山赤十字病院名誉院長酒井黙禅だからこその句か。

本来の大尺寺はすでになく、句碑が立っているだけであった。これで俳句の里巡り全133箇所全てを制覇!!が、我々には最後の仕事があった。バスの時刻が迫っている。すでに1便遅れている。バスは30分毎に走っているが、30分間も待つのは好ましくない。かずまるを背負って、ただひたすら走って、バス停へ着いたときには、すぐ後ろにバスが見えていた。最後にあせったため、最後の感動がなかったのだが、帰りは電車に乗り換えることなく、そのまま大街道まで親子ともども寝て過ごした。が、かずまるよ。お前は私の肩の上にいただけだろうとも思ったが、それ以上考えることもなかった。

 

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