北海道親子3人の旅・回想編

 
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2日目(7月21日・土)

注意:
【回想】は今回の個人的なものであり、天候、日程的余裕等により変わると思います。

【行程】(特急まりも・車中泊)550釧路555(快速はなさき)813根室(以降レンタカー)==納沙布岬1130頃==春国岱1330頃==明郷伊藤牧場1630頃==霧多布(泊:民宿きりたっぷ里)

特急まりも【回想】★★★★☆
夏休みにはいった金曜日の夜ということで、もっと混雑していると思っていたのだが、意外と乗客が少なかった。理由は、北海道の学校の夏休みは、もう1週間先からなのと、思ったより旅行者が少なかったようだ。
札幌を出たときには、暑いくらいだったのが、明け方にはかなり寒くなって、かずまるが体調を崩す。
B寝台そのものは我々自身が選んだものであって、寝心地にも自分なりには満点を付けたいのだが、温度管理がどうなんだい?と思う。また、2号車スハネフ14-500はトイレが1箇所に洗面台2箇所、自動販売機があるが、3号車オハネ14-500にはトイレが2箇所ある。その編成ならば、当然オハネである3号車の方が寝心地が良いはずで、そのくらいの切符販売をしてくれよ、という不満もあって、1点減点というところか。

その特急まりもは、日中ならば、札幌〜釧路間を5時間少々で走れるところを、6時間40分かけて走る。このような場合は、普通ならば、大きな駅で長時間停車するのかと思ったら、相当スピードを落として走っていたようだ。外は、雨が降り続き、大雨による徐行をしていたのかと思ったほどである。が、結局定時で走っていた。

かずまるが「寒い」というものだから、私の布団をかずまるに渡し、外が明るくなっていたこともあって(4時半頃)、ずっと外を眺めていた。定刻5時50分釧路到着。

快速はなさき【回想】★☆☆☆☆
昭和58年4月に乗車した急行「ノサップ1号」の感動が、一時北海道病を引き起こしたと言っても過言でないだけに、この列車に対する思い入れが大きかっただけに、今回は大ハズレの一言であった。

まず、濃霧注意報発令の中での天候は、まあ仕方がなかったのだが、別当賀〜落石間海蝕崖に出たときも、全く海が見えなかったのは、さすがに少々不満であった。
次に、車両である。単行は仕方あるまい。が、シートがいただけない。簡易リクライニングシートとなっているために座席が回転せず、進行方向前側は後ろ向きになる。さすがに2時間も風邪をひきかけているかずまるを進行方向反対で座らせたら、大変なことになるところであった。特急まりもから地下道を急ぐ人が多く、単行で座れるかとも思ったが、なぜかみんな釧網本線へと乗り換えていった。
それにしても、私に言わせれば、簡易リクライニングはやめて欲しい。リクライニングさせたら、私ほどの座高のある者でも車窓が見えなくなる。リクライニングさせるのであれば、まともなものにするべきだし、こんな座席にするのであれば、転換クロスシートにするか、いっそJR四国のキハ58系のようなシートにすべきである。サラリーマンやっている限り、多分二度と快速はなさきには乗車することはないと思った。
ちなみに、かずまるは風邪薬(妻の特別調剤、さすがプロ)のためもあって、根室までずっと寝ていて、途中で汗かいて(これが予想外で途中で肌着が尽きた)、復活したのであった。

ちなみに、根室まで乗りとおした人は、旅人が我々を除き6名ほど、地元の人は5名ほどで通算すればガラガラであった。厚床から高校生が3名、落石から家族旅行者4名が乗り込んできた。

納沙布岬

レンタカー【回想】★★★★☆
4日間で4,500円を余分に奮発して、自家用車と同じ「イプ様」にしたのは正解だった。乗り慣れていることや、かずまるが適当にシートアレンジできたのも良かった。(基本的に妻子は酔いやすい)
なお、「イプ様」大正解の理由は、北海道は写真で見るような、10キロほど一直線というのがあるのだが、私の頭から欠如していたのは、道は一直線でも上下にはまっすぐでないと言うことだ。そういえば、その一直線道路を見ても、道が大きくアップダウンしている。前を走っていた車が、途中で一度見えなくなることもある。
何を言いたいかというと、10キロの一直線道路を走る場合は、ハンドルに使うエネルギーよりも、アクセルを踏むエネルギーの方がより大きいのである。つまり、結構アップダウンが激しいのである。結構オーバードライブのオンオフ操作はしたが、排気量2・4リットルは、精神的に燃費のムダを補って余りがあったと思う。ちなみに、自家用車と違って4WDであったが、一度も利用しなかった。

まあ、難点(1点減点)をいえば、「イプ様」については禁煙車がなかったことか。妻子が乗車する前に必ずエアコンをかけた。(しかも、最初2日は7月にもかかわらず暖房だった。)あと、初めてのカーナビであったが、国土地理院2万5千分の一の地図を該当箇所50枚以上コピーして、予習、持参した(北海道で初めて運転する)私の頭の方がエラいところがあった。また、これは関係ないが、トヨタレンタカーの場所が駅やバスターミナルから遠すぎる。雨が降っていたので、タクシーで移動したが、1メーターで行けなかったぞ。ちなみに、タクシーも暖房をつけていた。外の気温は12度程度。

あと、事前に予想(萎縮)していたほどは、北海道のドライバーは脅威ではなかった。おかげで、4日間完全に制限(あるいは法定)速度で走れた。何箇所か取締りをしていたが、そんなことは私には全く関係がなかったのだが、確かに法定速度(時速60キロ)で走れる区間の場合、1時間で60キロ走るというのはありえないが、10分間に10キロ走ることは本当に可能であった。また、行ってみたいと思った。(注:ここでは、一般道の法定速度は時速60キロなので、40キロとか50キロとかで走らなければならない場合を制限速度、その制限が解除された、つまり時速60キロで走れる場合を法定速度と掲載します。)

納沙布岬

納沙布岬【回想】★★★☆☆
過去の感動があったから、ある程度は仕方ないかも知れないが、岬にいる間にどんどん天気が悪くなったのには、さすがに腹が立った。
岬に到着したときには、まだ貝殻島と(うっすらと)水晶島が見えたのだが、そのうち全く見えなくなった。かずまるは、ここにある笹川記念館の展望台に行きたいと言い張ったが、何しろ展望台の上部が霧で見えないのに、行ってどうするの?状態であり、展望台入場記念にくれたお土産が、なんとも高いお土産になってしまった。

ただ、ここの店に狙いをつけた(ちょっと早い昼食の)いくら丼が期待を裏切らなかったことと、下のトーサムポロ湖の風景で、根室半島特有の「断崖の上はまっ平ら」に再会できたからよしとしよう。
なお、ここで鹿が湖を渡っていたらしい。(私は見えなかった。)また、別の場所でも鹿がいたから、かずまる自身は満足だったらしい。
ちなみに、(岬の天気が悪く)時間も少々早かったので、ひそかに海の墓場といわれるノッカマップ岬に行ってみたかったのだが、とても車が入れる道ではなかった。

トーサムポロ湖

春国岱(しゅんくにたい)【回想】★★☆☆☆
雨が強かったので、根室ネイチャーセンターで時間をつぶしながら、春国岱を眺めたのだが、あまりの景色に、段々とストレスが溜まっていったのであった。
さらに、次の予定の時間が来たので、出発しなければならなくなって、せめて橋だけでも渡ろうとしたところで、雨が止んだのが大変不満であった。もう30分雨が止むのが早ければ・・・という気象相手の低判定である。
ちなみに、春国岱への橋を渡ろうとしたところで、カーナビが「およそ5キロ道なりです・・・」と抜かした。5キロ走ったら、海に突っ込むと思う。

伊藤牧場(厚床明郷)【回想】★★★★★
今日の予定の中で、雨など(移動で濡れる以外には)全く関係ない行事であった。午後2時から約2時間、子牛のミルクやり、牛へのえさやり、乳絞り、バターつくりとかずまる最大のご満悦であった。

ちなみに、この牧場のちょっと北側には、微妙にカーブした道路があるのだが、これが旧標津線であることに気づき、私は余分に感動したのであった。

春国岱

民宿きりたっぷ里【回想】★★★★☆
民宿までの道中、当初は霧覚悟で、びわせ展望台へ行く予定だった。国道から左折する場所は、茶内だったのだが、そこには交差点右向こうにコンビニとガソリンスタンドがあることになっている。そして、カーナビが左折を指示する交差点がやって来た。確かに交差点右向こうにコンビニとガソリンスタンドがある。だが、初めての北海道での運転とはいえ、私の脳裏には「距離が短いような気がする」と思った。そして、左折後、しばらくして、そこは茶内のではなく、浜中の交差点であったのだ。このカーナビは翌日もそうだったのだが、茶内から霧多布湿原へと抜ける道路は感知されないのであった。が、それに気づいた私は「カーナビよりエラい」と思ったのであった。

さて、前置きの長くなった民宿きりたっぷ里であるが、かずまるには「今日は学生が多い」と言い聞かせていたにもかかわらず、実際には顔なじみの私より年上のご夫婦、そして、(日本人)女性は過去にここへ来たことがあってご主人は(日本語が達者な)フランス人夫婦の3組7名であった。まだ本格的な夏のシーズンが始まっていないのかもしれない。
そりゃ、この方が楽しかったし、食事は「19年ぶりの感動だい!」であった。宿泊した人々とかずまるが寝るには遅いくらいまで、みんなで騒いだ。本当に楽しい一夜であった。が、なにかオーナー武士さんが迷っているような印象を受けたところが1点減点。

というのは、かつて私がここへ来たときのオーナーの印象は、みんなで夜布団を並べて、「武士さんは夢を追いすぎている」と言い合ったものだった。オーナーが民宿を経営して27年、現在の場所に引越して20年、私があれから19年間北海道を考えないようにしていた間も、オーナーは自分の理想を貫いてきた。ただ、宿の料金体系に疑問が残る。「寿司たっぷりコース1泊2食付6,325円(相部屋の場合、ちなみに昭和59年〜60年は3,200円、今の場所に引越してから3,500円位になったと思う)」は、私が学生だった頃、そんなすばらしい民宿があることを知ったとき、果たして1回の旅で4泊もできただろうか?あんなに自分と同じような旅人と出会えただろうか?22年の時を経て、年賀状だけの付き合いとはいえ、未だに連絡のある友人もいるのだ。特に浜中はユースホステルのレベルも高いところである。今の自分には、これだけのもてなしを受けて、この値段は安すぎると言い切ってよい。が、ちょっと値段体系を見る限り中途半端だと言わざる得ない。そのあたりに、オーナーの迷いがあるような気がしてならなかったのだ。

まあ、これは私が思うことではないことだろう。というわけで、雨の2日目は過ぎていったのである。

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