【13】色鳥のいろこぼれけりむら紅葉(黒田青菱)
2007年7月29日行軍@A(道後村めぐり(29)、俳句の里・道後(21)、旧道後(25)) 常 信寺は持統四年(690)持統天皇の命により法相宗の神宮寺として建立され、本尊に阿弥陀如来を安置した。その後、法相宗から真言宗に、更に松山城築城後 に、松山城の鬼門に当たることから鎮護のため、天台宗に改宗している。この寺はトイレがきれいで、我々としては大変気に入っている場所のひとつである。 「道後村めぐり」ではこの後「瀬戸風峠」の難関が待っているのだが、道後コースでは、そのまま西へと進む。【14】風去りてゆれしづまりし夕桜(小原うめ女)
2009年6月7日行軍D 常信寺にある句碑。小原うめは1917年現在の松山市森松町で生まれ、36歳で「ホトトギス」に入会し、日本伝統俳句協会四国支部評議 員や愛媛新聞「夕刊俳壇」選者を歴任した。 【15】仰ぐ花見おろす花や常信寺(永井チヨ女)
2009年6月7日行軍D |
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【16】東風の船高浜に着き五十春(酒井黙禅)
2003年11月15日行軍A(俳句の里・道後(20)、旧道後(24)) 【17】しろ山の鶯來啼く士族町(高浜虚子)
2003年11月15日行軍@A(道後村めぐり(28)、俳句の里・道後(19)、旧道後(23)) 松山神社は菅原道真を祀る社と徳川家康を祀る東照宮を合わせた神社。我々は「道後村めぐり」の途中、境内で弁当を広げさせていただいたこともある。今日は 「七五三」の日。それらしき親子連れが神社に入っていった。「句碑のある松山神社は、明和2 (1765) 年3月、道後の湯月八幡宮(今の伊佐爾波神社)の山祠を、久松定静公が、この田高の岡に移し、徳川家康を祀って「東照宮」と称し、祝谷地区の氏神さまと なっている。(松山市教育委員会のサイトから抜粋)」というから、「松山」という地名が入っていることへの疑問が解けた。そういう紆余曲折があった神社な のだ。 |
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【18】春光や三百年の城の景(酒井黙禅)
2003年11月15日行軍A(俳句の里・道後(22)) こ の句が読まれたのが昭和37年(1962)、おおっと、私の生まれた年だ。で、坊っちゃん列車では「加藤嘉明は8年の歳月をかけて天守閣を、25年の歳月 をかけて城下町松山を築きました・・・」と説明があるのだが、3層の松山城天守閣築造は久松定行の代、寛永19年(1642)ということになる。その差は 320年かぁ、まあ、誤差の範囲なんだろうな。 |
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【19】伊予とまうす国あたたかにいで湯わく(森盲天外)
2005年9月1日行軍B 【20】春風やふね伊豫に寄りて道後の湯(柳原極堂)
2005年9月1日行軍B こ の道はまさに松山神社口バス停から松山神社へと向かう参道である。酒井黙禅といえば松山赤十字病院の名誉院長であるが、松山赤十字病院長を大正9年 (1920)から昭和23(1948)まで勤めたと言えば、まさに太平洋戦争真っ只中である。いろいろと苦労があったと思う。その後3年ほど野村町立病院 長を務めた後、田高庵で過ごしたという。田高は現在の道後多幸町をいう。ひらがなで書けば同じである。ただ、最初はなんとまたまた民家に句碑がある。なんと風流なことよ、と思っていたのだが、句碑の内容をよく見ると、なんで今は賃貸アパートなの?という気 がしないでもない。 |
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【21】松尓菊古きはものゝなつ可しき(正岡子規)
2005年8月12行軍B 坊っ ちゃん列車で道後温泉へ、そして祝谷の坂を登って、まずは愛媛文教会館をめざす。が、会館の前には碑があることはあるのだが、目的の碑がない。思い切っ て、ちょうどでてきた事務の人に尋ねたら、内庭にあるので案内するから見ていってくださいといわれた。少々恐縮して見せてもらったが、愛媛教育雑誌百号の 祝いとしての碑で、「俳句の里巡り・道後コース十番」と書かれている。 |
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【22】陽炎や苔にもならぬ玉の石(正岡子規)
2005年8月12行軍C ホテルシリーズが始まる。まずは宝荘ホテルの前に立ってうろうろしていると、椿館別館の碑がまん前に見える。句碑がほとんど道後温泉郷の旅館ホテルの看板と化している。 それにしても、足湯の前に句碑があるのがなんとも心憎い。この碑は当初の予定にはなかったものですが、当然加えた。 |
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【23】地の底に出湯の流れ山粧ふ(吉野義子)
2005年8月12行軍B 吉野義子は大正4年7月13日愛媛県生、社団法人俳人協会名誉会員になっている。また、子規顕彰全国俳句大会の平成6年、9年応募句選者としても名前があ る。子規顕彰全国俳句大会は正岡子規の生誕100年を記念して、昭和41年から始まり、毎年正岡子規の命日にちなんだ9月に開催している。 |
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【24】足なへの病ゆとふ伊予の湯に飛びても行かな鷺尓あらませ者(正岡子規)
2005年8月12行軍B 最近道後温泉では足湯が流行っており、ホテルでも無料で足湯がてきるスペースを設けたり、足湯をしながら喫茶を楽しめるところもある。このホテルも入口横 に足湯のスペースがあり、その近くに三碑がある。そのうち、湯築四番は最近リニューアルして二碑増え、一部句碑変更された「道後村めぐり」の八番子規記念 博物館の句碑として変更された。【25】ずんふり湯の中の顔と顔笑ふ(種田山頭火)
2005年8月12行軍B 出た!自由詩の巨匠。これだけはかずまるに朗読できない!【26】漱石が来て虚子来て大三十日(正岡子規)
2005年8月12行軍B ここのホテルも足湯の前に碑がどどっとありました。あとから来た女性2人が足湯に浸かりましたが、我々は暑くてそれどころでは・・・【27】永き日やあくびうつして分連行く(夏目漱石)
2005年8月12行軍B |
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